部族カジノの特徴は制度上、施行の権利を得て運営できるのは部族のみで、尚かつ施行の場所も部族の居留地に限定され、その収益の使途も専ら当該部族の民生と生活向上、社会インフラ施設整備などに限定されていることにある。米国先住民は1970年代までは劣悪な経済的状況に置かれていたが、一部の州におけるインデイアン・カジノの隆盛は部族の経済的発展に大きな効果をもたらしたと共に、部族居留地のある州政府への財政にも大きな貢献をすることになった。米国先住民たるインデイアンを対象とした特権の付与は、需要が供給を上回る地域においては、地理的な独占性により、確実な成功を収めた。但し、通常の連邦法や州法における法規範とは異なった例外的な制度でもあり、いびつな構造のまま、市場自体が大きくなったことは内部に様々な課題を残すことになった。また、賭博行為自体が厳格に規制されている州においては、その経済的メリットが部族のみに集中する部族カジノは、政治的・社会的な反発も引き起こしている。一方、一部の州、地域においては部族の経営するカジノは最早当該地域における重要産業の一つにもなりつつあり、地域雇用や地域経済に与える影響や波及効果も無視できない大きな規模に成長したといってもよい。経済力と共に政治力も増すことになり、ここから様々な現代的課題も生まれている。
例えば、下記の如き課題があげられる。
① 疑念と不信の増大:
部族は、制度上の特権を自らの利権拡大のみに用い、環境破壊等の地域社会への配慮や周辺自治体への影響等、カジノが地域社会にもたらす否定的側面を是正する為の本来負担すべき費用を支払っていないのではないかとする懸念である。部族による税負担や費用負担はもっとあってしかるべきで、本来地域社会に帰属すべき富が消えているのではないかという疑念と不信でもある。
② 部族間格差の拡大:
カジノを施行する部族にとり、カジノは、当該地域におけるインフラ施設の整備や医療・教育などの改善、失業の改善等をもたらしたが、カジノを施行しない部族における困窮は何ら変わっていない。かつ、大都市に距離的に近い部族は大きな成功をおさめたが、僻地にある部族施設では、そもそも集客が難しく、成功したとは言い難いという現実がある。この結果、部族間の格差は拡大している。また商業的な成功を収めた部族は全体の中ではまだ限定され、すべての部族が恩恵を被っているわけではない。
③ 巨大な部族カジノ資本の生起:
マシャンタケット・ペコー部族はボストンとニューヨークの中間地帯という地理的には優位な場所に位置する世界最大のフォックスウッド・カジノのオーナーとなるが、そのありあまる収益をもとに、自らの投資・開発会社を保持し、他州の部族カジノへの共同投資や、米国の投資家と共に、通常の商業カジノへの巨額投資を実行しており、最早その活動領域は単純な部族カジノとは言えない。勿論、関連する居留地外での経済活動に対しては、IGRA法は適用されず、州法による規制を受け、かつ米国の通常企業と同じ条件で課税されることになり、何らかの厚遇を受けるわけではない。但し、ここまで成長した以上、本来の部族に対する特権的な恩典は本当に必要なのかという懸念も生まれている。
④ 課題となる清廉潔癖性の確保:
部族によるカジノが小規模である場合は問題も生じないが、通常の商業的カジノと何ら変らない規模、内容で実施されている場合、関与する主体やその構成員に関する清廉潔癖性を保持する完璧な体制が保持されているか否かは必ずしも明らかではない。連邦政府と州政府がこれを分担しながら実践しているが、一貫性、透明性は不十分で、通常の州法に基づき厳格な規制の対象となる商業的カジノ施設と比較すると、甘さがあることは歪めない。かつまた、先住民部族は、過去、安易な形で、短期間に巨額の利益を手にするという経験をしたことは無く、一部部族社会においては、退廃や犯罪の増加をもたらしているとの指摘もある。
⑤ 規制の抜け道への対応:
部族の主権・自治権との問題と関係するが、連邦先住民ゲーミング規正法(IGRA法)自体が効果的ではないのではないかとする懸念である。州政府が施行する商業的カジノ施設規制と比較した場合、審査や検査の対象が網羅的ではなく、ここにつけこんで部族と部族外の商業資本が一緒になり法の抜け穴としてカジノを活用しているのではないかとする疑念になる。
⑥ 部族利権の政治化と部族による政治への積極介入:
より大きな課題として、部族カジノは一部の州では大きな成功を収め、これが政治的に利権化している。また、成功した部族による巨額な政治献金により、部族自体が米国の政治そのものを動かす実力を保持しつつある。但し、その一部の行動に関しては不透明感があることは歪めない。
IGRA法自体は既存の制度と現実との妥協から生まれたもので、原住民カジノがこれほどまでの規模に拡大することは当初は想定できなかったのであろう。果たして現状のままの制度で本当に適切か否かに関しては米国でも様々な議論がある。