河川を航行する船舶の中でゲーミング賭博を提供する行為及びその施設をリバーボート・カジノと呼称する。誰も周りに無い、孤立した閉鎖空間の中でゲーミング賭博が営まれるならば、周辺環境にも地域社会にも影響はなかろうという理由により、反対論を抑える効果もあった模様である。このリバーボート・カジノは一種の観光アトラクションとして1980年代末頃に考案された考えになる。この為に使用される船舶も外輪船を模した時代的な船舶であったり、工夫をこらしたものになったりし、観光的な側面も保持している。そもそも鉄道が無かった時代には河川・運河を利用した交通は交易や移動の重要な手段で、この中で一部賭博行為がなされたという歴史的事実を想起して、これを現代によみがえらせたのであろう。1840年から1860年頃までは水運が重要な交通手段であった時代で、この船舶を利用したリバーボート・カジノの全盛期でもあった。現代社会で、リバーボート・カジノの考えを創出し、初めて制度化したのは米国アイオワ州で、1989年にこれが実現した。河川を挟んでその隣の州となるイリノイ州は、これに対抗すべく1990年1月には法案を議決し、同様のリバーボート・カジノが同州でできる配慮を法律的に手当てした。この背景には、イリノイ州の住民が、川を渡り、アイオワ州に行き、賭博消費をしたからだという事実もある。閉鎖された空間で賭博行為を認めるということは州民の同意を取り付けやすいこと、いかにも歴史的な外輪船を用いることで、観光の雰囲気を提供していること、周辺に陸上カジノ施設がない場合、これでも十分顧客を動員できる集客力をもっていること等 が、かかるカジノ類型の特色となった。もっともいずれの場合にも、係留地点は重要で、①顧客を集客し、乗り降りのポイントとなること、②利便性、アクセスの良い係留地点であることが要件ともなり、州政府の取り分の一部はこれら係留地点の地方政府に還元されるという制度をとった州がほとんどという背景がある。金は船舶内では落ちるが、居留地では殆ど落ちないからである。
この様に、アイオワ州やイリノイ州から始まった船舶内のカジノは、その後やはり同様の大きな河川となるミシシッピ川を抱えるミゾウリ州(1993年)、ルイジアナ州(1991年)、ミシシッピ州(1990年)でも模倣され、現在に至っている。この他にイリノイ州の隣になるが五大湖に面したインデイアナ州(1993年)もリバーボートカジノの法制度を整え、かかる施設がある。おもしろいのは税率で、州ごとに異なるが、リバーボートカジノは、米国でもっとも税率の高いゲーミング・カジノ施設となる。抜きんでているのはイリノイ州で粗収益レベルに応じて15%から最高50%となる。これに加えて、州政府は乗船客から一人当たり$2~4の乗船料を徴収している。その他の州も逓増率を採用しているが、最高税率は22%から35%レベルに留まっている。
就航可能な大きな河川や湖があることがリバーボートカジノの前提でもあろうが、制度上は、係留している時はカジノを開帳できず、一旦動き始めた時に初めてカジノを開帳できるとすることが前提となる。しかも一部州ではこの船舶の安全性保持や運航上の在り方、一日の内の必要就航時間等と、こと細かに規制を取り決めている例がある。但し、顧客は本当に航行している船舶上でのカジノを欲しているのか否かについては疑問も多い。通常の場合、船舶の揺れは不安感をもたらし、顧客の集中度を妨げ、売上げを減らす効果がある。また、一旦船舶に乗船してしまうと、数時間は戻れなくなってしまう。すっからかんとなっても戻れないことになるわけで、後は外の景色を眺めるだけの機能しかなくなってしまうという現実がある模様だ。この結果、制度を変え、航行中のみならず停泊中もカジノ・ゲームの提供を可能にした州が殆どとなってしまった。この場合、船舶内で航行開始がアナウンスされると慌てて外へ逃げる顧客も多いという。もっとも面白いのは、係留地や航行する旅程、場所などが観光地に近い場合等は、今度は逆に全く賭博はせず、安価な観光船舶として顧客が船舶に乗船し、全くゲームをせず、外の景色を楽しむという笑えないケースもある模様である。
尚、航行する船舶である以上、①安全基準、②航行基準など追加的な規制が適用されるとともに、施設規模はさほど大きくとれないというのがこのカジノ施設の特徴である。外見は結構歴史的情緒もあり、楽しいのだが、内部は全くの閉鎖空間としての箱で、必ずしも大きくなく、かつあまり大きくできない物理的制約もある。かつ、ゲーミング賭博施設と一部アトラクション、レストラン以外のものは一切無いといってもよいかもしれない。かかる事情から、その経済効果は限定される施設となるのが現実である。