ネバダ州における現代に繋がるゲーミング・カジノ制度は1950年代中葉から段階的に制定されたものである。同州は1950年代を通じ、連邦議会上院の組織犯罪調査特別委員会の主要な調査対象ともなり、同州における組織犯罪と賭博との関連性が大きな国民的関心事ともなった。当時のカジノ施設では、様々なレベルにおけるマフィアの関与や、脱税等が横行していたことも事実であり、賭博行為は本来悪という国民的な感情も段階的に強くなっていったっという事情もある。かかる背景から、ネバダ州議会、州政府にとっても、何らかの効果的な制度や規制を制定する必要に迫られていたともいえる。連邦政府は効果的な規制を設ける圧力を州政府にかけ、これが無い場合には連邦政府の介入もあり得る事態となっていた。
かかる背景の下で、ネバダ州政府の積極的な政策的意思により、現在に至るゲーミング・カジノ法制が段階的に制定されてきたという経緯になる。主要な法令で特記すべきものは下記の通りである(現状一つの法体系として下記は統合されている)。
① 1955年、ゲーミング・コントロール・ボードの設置(上院法案170号):
現在に至るゲーミング賭博法制の基本となる法律である。ゲーミングから好ましくない要素を排除し、そのライセンス及び運営を厳格な規制の対象とすることとし、ネバダ州税務委員会の中に法の執行機関としてのネバダ州ゲーミング・コントロール・ボード(Gaming Control Board)を設置した。同時にライセンスを取り消し不能な特権として定義し、ボードに対し、如何なる主体がライセンスを保持できるかの判断に関する広範囲な権限を付与、その判断基準をボードが定め、申請者に自らの適格性を立証する義務を課す仕組みを制度として構築した。
② 1959年、ゲーミング委員会の設置(下院法案144号):
ネバダ州税務委員会を代替する形で、ネバダ州ゲーミング委員会(Nevada Gaming Commission)を新たな規制機関として創設し、これをライセンス付与、規則制定に係る最終的な権限者として明確に位置づけた。委員会は公衆と公益を守り、法を管理する全般的な権限を付与されている。この様にまず法の執行機関を作り、その後規制機関を設けて、規制と法の執行を明確に分ける制度的措置をとったわけである。この段階で現代に至る二層からなる規制モデルが確定したことになる。
③ 1961年、ゲーミング政策諮問委員会(Gaming Policy Board)の設置:
ゲーミング政策に関する知事の諮問機関を設置したものである。法的な拘束力はないが、ゲーミング委員会・ゲーミング・コントロール・ボードに対し、政策の推奨をすることができる。政策立案推奨機能と規制や法の執行を担う主体を分けたことを意味する。
④ 1965年、カジノ産業就労許可書・取得義務規定(上院法案299号):
ゲーミング産業の従事者に対し、市、郡、ないしはゲーミング・コントロール・ボードからの就労許可書の取得義務を規定したものである。これは組織暴力に協力して、スキミングを図る内部従業員の締め出しを図る目的で制定されたもので、従業員の個人の資格申請、許諾を含むものになる。この頃まで、従業員や組合を通じたマフィアの影響力が存在したことを意味している。
⑤ 1967年、第三者監査人による監査義務(上院法案349号):
制限無しの一般ライセンスを保持する施行事業者に対し、独立した第三者監査人による年次監査を義務付けた内容になり、事業者の一層の透明化を求める内容になる。
⑥ 1969年、一般株主ライセンス取得免除規定(上院法案353号、「企業賭博法」Corporate Gaming Act):
この時までのライセンス申請者は企業の場合、その株主全員にライセンス取得を義務づけていたが、これでは多数の株主を保持する大企業が排除されてしまう。これが、マフィアが入り込む隙間を設けたという反省により、10%以上の有効発行済み株式を保持する株主のみを支配権のある所有者としてライセンス取得の対象とし(5%~10%は規制当局に対する報告対象)、それ以外の一般株主のライセンス取得を免除したものである。これにより、大企業、特に上場企業がこの産業に参入することが可能になり、大規模な資金調達や健全なる資金がこの産業に入ってくることになった。
⑦ 1993年、ネバダ州競技委員会の廃止、ゲーミング委員会への権限移管:
競馬を所管していた競技委員会を廃止し、全ての賭博行為の一元的管理をネバダ州ゲーミング委員会が担うようになった。
ネバダ州における賭博行為の健全化は上記のとおり、業界や市場の発展とともに、段階的に制度として構築されてきたもので、ある日突然できたものではない。この過程で、段階的に組織悪やマフィアの徹底した排除が実施され、現在のクリーンな姿ができあがったことになる。