オーストラリアにおける私的な賭博行為の歴史は、英国的な伝統を引き継ぎ建国と共に古く、会員制クラブ等における競馬やグレイハウンド競技は1800年代には庶民的な娯楽として定着していたという経緯がある。20世紀初頭の時点では、賭博行為は事実行為として、市民社会の中で行われてはいたが、法的に禁止されていたわけではない。1916年非営利団体が慈善行為の為に実施したロッテリーが成功を収め、その後州政府自らが財源確保の為に、かかる施行を自ら実施したり、あるいは慈善団体による活動資金調達のためにかかる行為を認めたりする慣行がオーストラリア各州において定着した。1920年代には既にスロット・マシーンが市場に登場している。1921年連邦最高裁はかかるスロット・マシーンの営業行為を禁止したが、非営利団体である会員制クラブでの施行は法的に曖昧な存在となり、結果、国中のクラブで流行することになった。1930年代はロッテリーあるいは慈善目的のための小額ギャンブルが殆どの州で許諾され、実施されていたのが実体でもある。1940年代に至り、非合法賭博と共に、これら商業的賭博に関連した汚職・腐敗が散見されることが社会問題になるに至り、賭け事の胴元としての役割、並びに場外馬券販売はTAB(Totalizator Agency Boardトータリゼーター管理機構)と呼ばれる州政府直属の機関の管理下におかれ、公的主体が独占権をもってこれを担うことにより、規制されることになる。この結果、豪州ではTABとはパリ・ミュチュエル賭博をも意味する用語として用いられている。
一方1950年代には、人口集積地でもある。ニュー・サウス・ウエルズ(NSW)州、ビクトリア州等では事実行為として、クラブやホテル、バー等にゲーム機械が広く行き渡る事象が生じてしまった。何等かの規制を設ける必要性が主張され、ニュー・サウス・ウエルズ州では1956年新たに法を設け、登録されたクラブに対しては地域に対する貢献税支払いを義務づけることによりゲーム機械の設置・運営を正式に認知するという政策転換を図った。この動きは1960年代に他州でも加速し、賭博行為の「自由化」が各州にも広まることになった。但しこの段階での基本はあくまでも違法行為を無くし、利益を地域へ配分し、地域社会への貢献を推進するという社会的配慮が許諾の前提でもあった。賭博は存在したが、TABやロッテリーは州政府直営で、ゲーム機械は民営となる会員制クラブやホテル・バーでも行われ、かつ賭博行為を担うブック・メーカー等も存在し、バラバラの状態にもあった。これら賭博行為は、認知はされていたが、必ずしも州政府自身が積極的にこれらを推進していたというわけではない。
この政策を転換し、賭博行為を認めることによる経済的メリットを積極的に認知し、推進する政策が採用され始めたのは1970~1980年代の動きになる。経済不況とそれに伴う州財政の逼迫、新たな税源の必要性等がオーストラリア各州によるカジノ制度創出・許諾へと繋がった。オーストラリアでは州政府の独自財源自体がもともと少なく、連邦政府交付金に依存する財務体質があり、新たな独自財源を確保したいとする政治的意思も強く働いた模様である。1970年代の経済不況・景気低迷はタスマニア州、ノーザン・テリトリー州では特に影響が大きく、この二つの州からカジノを認める制度が創出され、小規模ながらカジノ施行が実現した。これが成功を収めたという経緯もあり、1980年代の世界不況はカジノ実現の動きをクイーンズランド州、西オーストラリア州、南オーストラリア州に広めることになった。この時点以降、観光振興、雇用創出、税収増、地域再開発等が新たな政策目的としてカジノ制度創出が図られることになる。1990年代中葉における不況は本来裕福な工業州でもあったニュー・サウス・ウエルス州、ビクトリア州においても経済的メリットを享受するためにカジノを認める制度的措置がとられるに至り、全てのオーストラリアの州においてカジノが施行されるようになった。いずれも、州都や著名観光地においてのみ、施設数を限定し、地域開発や複合的観光施設を企図した施設展開となり、無制限なカジノ賭博の許諾ではない。
ニュージーランドにおける状況は基本的には上記オーストラリアと類似的な動きになる。やはり地域社会や慈善団体を中心とした非営利行為としてのコミュニティー・ギャンブル(Community Gamble)という慣行が従来から存在し、オーストラリアと同様に1990年代の経済不況に端を発し、オーストラリアの成功を参考としつつ、かつオーストラリアと同様の政策目的をもって、カジノ制度創出が試みられた。この意味では現在にいたるオセアニアにおけるカジノ制度とカジノ施設は1980年代中葉から1990年代中葉にかけて創出された施設群であり、その後も施設数は増えておらず、施行後一定の期間を経て着実に発展し、成熟した市場となっている。
このようにオセアニアでは、
① カジノ施設は施設数を限定した地域独占的な施設として、かつ明確に複合的な観光施設としての役割を期待された地域顧客や観光旅客のための施設となっており、内外の顧客を惹きつけることに成功した。
② 但し、国としての最大の賭博市場はカジノではなく、市中のバーやホテル、クラブ等に散在するスロット・マシーンであり、歴史的経緯から、カジノ外においてカジノと類似的な機械ゲームが大量に市場に存在し、併存するという奇妙な市場構造になった。もちろんこれら機械ゲームの主要顧客は来訪観光客ではなく、自国民であり、特異な市場を構成したことになる。