1850年代にポルトガル領マカオ政庁が、税収を得るために、賭博行為を認めたことが、現在に至るマカオの商業的賭博産業のスタートになる。1930年にHou Heng Companyがマカオ内部であらゆる賭博種を独占的に運営できるコンセッションをマカオ政庁から得て、セントラル・ホテルにてカジノを始めたのが今でいうマカオにおけるカジノ産業の始まりという。1937年にこの権利は、失効し、その後はTai Heng Companyがコンセッションを継承した。1938年頃から、西欧流のゲームが導入され、この後も、単一事業者による独占的な施行が約20年間に亘り継続した。単一事業者に対する独占権付与は租税徴収の簡素化なども理由の一つであったといわれている。1961年にこの独占権が失効し、この時点で当時のマカオ政庁により新たなゲーミングのコンセッションを付与する公募がなされ、結果、施行権を取得した企業が、現在に至るSTDM社(~Sociedade de Turismo e Diversões de Macau~マカオ複合観光会社)である。
上述したSTDM社は当時のマカオ政庁と1962年6月にコンセッション契約を締結、同契約はその後、1987年7月に2001年まで延長された。一方、1999年マカオはポルトガルから中華人民共和国に返還され、マカオ特別行政区内となったが、特別行政区においても商業的賭博を継続することがその基本的施策ともなった。経済活動の過半をカジノに依存する体質が歴史的事実として存在し、これを廃止することは中国政府にとり大きな財政負担になることが確実で、特別行政府として例外的にこれを認めるという現実的な政策的対応を図ったことになる。この結果、香港では金融・商業・観光が、一方、マカオではゲーミングを主体にした観光が、一国二制度の下における主要産業と位置づけられることになった。中国本土では賭博行為は(現状、ロッテリーくじ以外は)禁止されているため、特例的に特別行政区のマカオのみで賭博行為の施行が認められたわけでる。返還後の2001年、既存のカジノ・コンセッションの期限到来と共に、マカオ特別行政区政府は新たな施策を実施することを決定、法律第16/2001号により既存の賭博制度を改定し、従来の単一独占事業者体制(STDM者に対する独占権付与)を改め、マカオにおけるカジノを競争市場にすることとした。この結果、ゲーミングに係るコンセッションは、従来の単独独占方式ではなく、最大数3つとし、3社の異なる事業体にコンセッションが付与されることとなった。ポルトガル領末期のマカオとは、STDM社による独占、犯罪や暴力組織の横行も目立ち、健全なカジノ施設や安全な地域とは言いがたい雰囲気があったことも事実であった。特別行政府区政府の新たな施策は、この過去のマカオのイメージを払拭し、如何にマカオを健全化し、カジノを梃とする観光産業を安定した産業として根付かせ、発展させるかにあったともいえる。
新たなコンセッション付与の目的は、①カジノを独占供給市場から競争市場へと転換すること(外資も積極的に導入し、事業者間で健全な競合状態を創出させること)、②新たなコンセッション付与に基づき、これら事業者に新たなカジノ関連施設投資を一定期間コミットさせ、その実現を図ること(新たなエンターテイメント産業の振興と展開を図る、そのための投資誘致を実現する)、③マカオのゲーミング産業の魅力を高め、これを更に発展させると共に、カジノ産業自体を健全化すること(制度の整備と健全化、安全な運営体制の構築)等にあった。
上記政策に基づき、2001年国際公募がなされ、同年10月に内外21事業者が応札した。3社は失格し、18社が招聘され、2002年2月、特別行政府の事業者選定委員会は米国資本を含む3社グループを新たなコンセッション事業者として選定した(2社は米国巨大企業とマカオ・香港企業とのJV、1社は従前のSTDM社がこの目的のために構成した特別目的会社でSJM社となる)。尚、コンセッション自体は3つだが、現実的には各々のコンセッションの下で同一事業者が、市場が許す限りの施設、機材等を設置することが可能である内容になっている(即ち、一つの事業者が一つのコンセッションの枠内で複数カジノ施設を保持することができる)。かつ。その後の特別行政区と許諾民間事業者との交渉の過程で、サブ・コンセッションという概念が各々の3事業者に一つずつ認められることになった(1社の事情を認めた所、全てに平等に認めることになったもの)。この結果、実質的なコンセッションの担い手はサブ・コンセッションを含めた6事業者となっていることが現実である。これらが2012年レベルで合計35ヶ所のカジノ施設を運営している。尚、マカオ特別行政区は限られたマカオの土地を最大限活用すべくタイパ島とコロアン島を埋め立てにより一体化し、コタイ・ストリップと呼ばれる巨大な造成地をこれら新たなコンセッション事業者に振り当て、新しい地域開発を実現させた。この結果、2006~2010年にかけて巨大な複合観光施設がこの地域に実現し、その後も毎年巨大な施設が建設されつつある。その売上は年々二けた台の成長を示し、既に米国ラスベガスを遥かに追い抜く世界最大のカジノ賭博市場にまで成長している。