前述したように、中国はことロッテリー賭博やVLT賭博に関しては、柔軟な制度と規制の考えをとり、市場は急成長しているというのが実態になる。賭博以外の分野でもネットを利用した交流ゲーム等は中国でも大きな人気を呼んでいる。一方、その他の賭博行為は当然禁止されているのだが、澳門だけではなく、時間の問題で中国本土においてもカジノ賭博は解禁されるのではないかとする憶測や、中国本土でも一部区域を限定し、規制が緩和されるのではないかとする噂が後をたたない。中国人は本来賭博性向が強いが、海外にでて資金を使うなら中国で使わせ、遺漏させない方が国策としては有利という主張になる。最も、本来一定額以上の外貨や元を国外に持ち出すこと自体が禁止されているわけで、遺漏もへったくれもないのだが、澳門がずば抜けたパーフォーマンスを示していることから、中国市場の潜在的な大きさに期待する意見でもあるのだろう。
この憶測の対象になっているのが海南島で、中国政府は海南島を国際的な滞在型リゾートの拠点とすることで開発を進める政策をとっている。15の大きなリゾート施設、63の5つ星ホテル等を整備することが同国5ヶ年計画の中で認められている。既に著名な米国系ブランドのホテル企業もコンベンション施設付の巨大高級リゾート施設を開業しており、施設の高規格性と様々なアメニテイーの提供により「中国のハワイ」として、観光客、ビジネス客の大きな人気を集める地域となっている。この地には2012年に米国のカジノ事業者であるMGM Resort Internationalがホテルをオープンし、2014年にはやはりカジノ事業者となる Caesars Entertainmentもホテルをオープンする予定である。MGM社はカジノに類するゲームを海南島に導入する予定ではないと報道に対してコメントしているが、これらビッグ・ネームが動いている以上、やはり裏に何かあるのではないかとか、将来的には変化が起こるのではないかと期待する声も当然強くなる。
この海南島にあるリゾートの一施設である三亜湾のMangrove Tree Resortは、一部開業し、来年完成予定で、客室4,000室、6,000人を収容できる会議施設、様々なアメニテイー施設をも含む中国最大の巨大リゾート施設になる。2013年2月に、当局の許可を得たとして、このホテルで、突如カジノ・バーがオープンされ、外電を初め世界の報道陣が大騒ぎすることになった。この時点では50のテーブルが設置され、バカラ等のゲームができる堂々の施設になる。チップの代わりにチケットを買うことになるが、勝てば現金ではなく、マングローブ・ポイント呼ばれるポイントを取得できる。このポイントで宿泊代を支払ったり、施設内にある様々な高級ショップで、宝石や高級雑貨や美術品等と交換できたりするという仕掛けになる。チケットは500元、賭けは一般顧客エリアでは20~2,000元、建設中の二階ができれば、そのVIPルームでは2,000~100,000元までのハイリミットも可能になるという。当面はホテル客のみだが、ホテルが完工すれば一般顧客も入場可能という筋書きでもあった。
確かにポイントはチップではなく、そのままでは換金ではないが、交換対象が高級雑貨や宝石類、美術品等であるならば、中国の環境ではたちどころに二次的な換金市場が裏でできることは間違いない。高額になると、上記オペレーションは、明らかに、限りなくカジノに近い施設になってしまう。しかも、規制も制度も監視もなく、これが堂々となされることになり、これではたちの悪い闇カジノと変わらない。案の定、開業2日後には、中国当局(Sanya Culture & Sports Bureau)の査察が入り、瞬く間に閉鎖されてしまった。当局の説明では本来エンターテイメントということで許可したものの、実際中で行われていたゲームはそうではない、明確な法律違反ということになる。一方極めて中国的だが、事業者は単なる技術的問題として、当該施設部分を閉鎖したままとしている。
長期的には共産党支配の中国も変りうる可能性はあるとはいえ、マカオという特別行政区のみに限定して認められている現在の仕組みが、中国本土内で例え限定的でも単純に認められると考えるのはあまりにも早計すぎる。
① 現状のマカオは歴史的経緯と妥協の産物でもあり、中国との関係においては、様々な矛盾を内包しており、これらは単純に解決できる問題ではない。マカオにおいてのみ商業的賭博を認めるという考えもその一つである。
② 一定の秩序と規範の下でマカオが発展することは、規定路線でもあり問題はないであろうが、ことが中国国内の矛盾に波及しかねない問題は、中国本土においては単純に認められるわけがない。中国の現政権にとり、賭博行為がもたらす経済効果よりも、中国本土内で賭博行為がオープンになることにより生じかねない社会的、政治的事象を防止することの方が明らかに政策的優先度は高いはずだからである。ここには飴と鞭のしたたかな戦略が見え隠れしている。