アジア・オセアニアのゲーミング市場の大衆化と発展は、70~80年代を通じてまず比較的裕福なオセアニア諸国から発展してきたのが現実である。西欧的な伝統を継承し、賭博行為に対する社会的寛容度が相対的に高いという事情もあったのであろう。これら地域では、州都等の大都市に、都市型、複合観光施設型大型カジノ施設が地域毎に建設され、自国民のみならず、アジアの富裕層顧客を惹き付けることができた魅力を備えたことが成功の一要因にもなったといえる。オセアニア諸国におけるカジノの大衆化、一般化と成功は、その後のアジア各国における類似的施設の発展にも大きな影響を与えている。勿論、アジアでは一部の国、たとえばポルトガル領マカオやマレーシアのゲンテイング・ハイランド、韓国の外国人専用カジノ等の極めて限られた地域では、特例的にゲーミング・カジノが認められ、実施されていたのだが、これらは極めて特殊な事例であり、なかなか一般的な傾向として広まらなかった。ポルトガル領時代のマカオは、80年代以降は、犯罪組織の温床ともいわれ、不健全なイメージが定着し、健全な観光地とは言えなかった。マレーシアのゲンテイング・ハイランドは家族客をも引き付ける一大高原リゾートでもあったが、東南アジアを主体とする限られたローカルの顧客需要を満たす施設でしかなかった。また韓国の外国人専用カジノも、過半の顧客は日本人であり、かつ顧客を惹きつけたのはアクセスの良い大都市の一部のみでしかなかったことが現実であった。市場としての明確な限界があったことになる。
これら状況が一変し、アジアが巨大なゲーミング市場へと発展するに至ったのは、経済の発展に伴うアジア諸国の急激な成長と、これに伴い観光や交流が促進され、人々が国境を越えて交流しあうようになったというグローバリゼーションの趨勢が重要な起因となった。90年代以降、アジアの富裕層の活動は世界レベルに達し、既に一部米国やオセアニア諸国のカジノ施設においても、VIP顧客としてゲーミング市場の重要な顧客セグメントを構成している。ゲーミングに対する潜在的需要は、アジアでは従来からかなり強く存在したのであろうが、これを一挙に大衆化、一般化したのは、ポルトガル領マカオの中国返還に伴う一大再開発と米国企業の進出、これがもたらしたカジノの健全化、安全化である。かつ、これに加えて、中国本土からのマカオ・香港訪問に対する規制緩和措置は、巨大な中国市場からの中間富裕層や富裕層のマカオ来訪とアクセスを可能にした。この結果、中国返還後のマカオは、飛躍的な開発投資と賭博売上を記録し、2007年には既に米国ラスベガス・ストリップ地区を抜く、ゲーミング粗収益をもたらすに至っている。勿論マカオの来訪客の80%以上は中国本土や香港、台湾の顧客でもあり、マカオ自体は巨大なローカル市場である中国本土の顧客が主体になる。中国の飛躍的経済発展が遊びや観光の世界にも広がっており、中国人の富裕層を如何に顧客として取り込むかの競争もアジア諸国間で始まっている。マカオに続くシンガポールにおけるカジノを核とする統合型リゾートの計画と実現は、この大きなうねりを東南アジアにも拡大することになった。シンガポール自体はマカオと異なり、自国民を顧客に期待しているわけではなく、中国や東南アジア、インド等広くアジア全体の来訪観光客やビジネス客を集客するというモデルになる。2010年春、統合型リゾートという新しい都市型のシンガポール施設がオープンし、短期間に世界有数の集客力、収益力の高いリゾート施設として成功した事例に世界の注目が集まりつつある。東南アジア地域に広まりつつある新しい概念と新しい施設群のカジノ・リゾートは、アジアにおける顧客の流れと競争の在り方を変える可能性がある。
2008年10月のリーマン・ショック以降の世界景気の停滞は、世界的にゲーミング市場における一時的な停滞を招いた。この結果、2009年は短期的に市場が縮小化したが、2010年以降は回復基調に戻っており、観光旅客需要やビジネス客需要も今後持続的に成長すると想定されている。エンターテイメント・カジノの世界は、マカオ・シンガポールの急成長に伴い、2012年以降、飛躍的な市場の拡大が継続して起こりつつある。この中心がアジアになる。アジアは今後世界のゲーミング市場を大きく引っ張っていく成長セグメントになる。