カジノ賭博は限られた地域、限られた施設数で施行される限りにおいて、大きな経済的効果を当該地域にもたらすことができる。これを政策的に活用し、特定地域において、他の政策がもたらしうるデメリットを補償するために用いようとする政治的意思が為政者に起こるのは過去、古今東西に様々な実例もあり、おかしな考え方ではない。この考えは、我が国においても2009年より2010年にかけて、政権交代に伴い与党の一部を構成した国民新党や一部の民主党議員から生まれた声として現実に主張され始めた。いうまでもなく、普殿間米軍基地移設問題と沖縄経済特別振興法の期限切れに伴う新たな施策としての主張でもあり、沖縄県においてのみ、何らかの形のリゾート施設としてのカジノなら特例的に認めてやってもいいのではないかという主張になる。
米軍基地等の迷惑施設を設置したり、移設したりする場合、地域住民の不安を和らげ、彼らの支持と了解を取り付けるために飴玉をも用意するという施策は、原子力発電設備の設置における電源開発特別立法や、自衛隊基地・過去の米軍基地等の場合における地域住民を対象とした特別予算措置等、我が国でも前例が無いわけではない。一方、時の政権が自らの政治的スタンスのもつれから混乱した基地移転の問題のつけとして、飴玉を用意するという考えであるならば、本末転倒でもあり、何も考えないまま、単純に飴玉を作り出すという施策でしかない。特定の弱者や被害者を対象として、何らかの救済策を取るという政策は好ましいことではあるのだが、ことカジノに関する限り、必ずしも好ましい政策的選択肢とはいえない。諸外国には様々な類似的実例はある。韓国の内国人が入れるカジノ(カンウオンランド・カジノ)は廃坑地域開発支援特別措置法による一種の経済的に疲弊した炭鉱地域の政治的救済策でもあった。但し、カジノの法制度を作らずに、既存の制度的枠組みを利用して、まずカジノありきから始まった為、必ずしも整合性のある制度となっておらず、様々な問題を引き起こしたという事実もある。米国の原住民部族カジノは、同様に経済的困窮にあえいでいた米国原住民を救済するための手段でもあり、一定の政策目的を達したとはいえ、部族間での貧富の差の拡大や、成功する事例とうまくいっていない事例の格差があまりにも大きくなり、別の政策課題を生じさせたことに繋がった。
迷惑施設への代償と考えるアプローチは下記問題を抱えることになる。
① 迷惑施設への対価とする考えは、迷惑をかけたことに対する補償という考え方でもあり、何のための施設展開なのか、なぜかかる施行を認めるのかという本来の施行目的を曖昧にしてしまう。その他の議論を遮断してしまう論理や前提になってしまう可能性が高い。また規制や監視の制度をきめ細かく規定し、厳格な法の執行を担保するという公的管理の考えが損なわれる可能性も高く、地域住民の同意や地域の行政当局による慎重な準備や検討もないままに、政治主導により、突っ走ってしまうリスクが高まることになる。これでは施行が不安定になり、将来的に問題をおこすことになりかねない。
② 施行の目的が特定の地域に限定される場合、制度的な枠組みも、これを前提にせざるを得ず、恩恵を被る地域は問題ないだろうが、その他の地域における不公平感が高まる。例えば沖縄においてのみ認められる補償のための施設とする制度的枠組みになるならば、その他の地域、大都会には設置の可能性が無い制度になる。目的、施行数、施行のあり方をより中立的に定義し、その枠組みの中で特例的に、例えば『沖縄』を選定したり、指定したりするという選択肢は政治的にはありえようが、やはり透明な選定判断基準の下で誰もが納得する形で判断が為されなければ、うまくいくわけがない。最初から沖縄のみ、沖縄ありきでは、やはりその他の地域における不公平感を高めることになりかねない。
カジノ設置を迷惑施設に対する補償行為と否定的に捉えるのではなく、カジノを明確に健全なエンターテイメントの一つとして肯定的に位置づけ、その効果をも積極的に評価しつつ、その行為がもたらしうる社会的危害を最小化する施策を同時に考慮することにより、地域住民の合意形成を図るという手段が本来とられるべき施策でもあろう。一つの迷惑施設のための補償、そのための財源の確保という考えは、カジノがもたらしうる否定的側面をも積極的に認めないという考えに近くなってしまう可能性もある。これではやはり問題を先送りにすることになる。
よって、カジノ施設は単純にメリットのみをもたらすことができる施設ではないことをまず理解する必要があろう。カジノ設置により地域社会にもたらす否定的な影響もありうることになり、デメリット、費用負担等をも考慮した上で地域社会の合意形成を得ることがまず前提として重要になる。上から与えられるものではなく、住民が地域の意思として認知しない限り、運営上様々な問題が後刻生じてくる可能性が高くなる。また、施行に際しては、予め否定的要素を管理しながらこれを縮減する考えや施策を開示すべきであり、住民の理解と支持がこの点も極めて重要になると考えられる。これら施策が隠れてしまう考えや方針は、結局案件の実現を困難にすると共に、本来予め考慮すべき問題の検討を先送りにすることになりかねない。