わが国の企業で本格的にカジノの運営に参加した企業は、若干の例外を除き、皆無といってもいい状況にある。勿論、既存の外国カジノ運営事業者等に一部出資した企業は存在するが、規制当局より免許を得て主体的にカジノ事業の経営・運営に参加した企業は極めて限られ、現状では殆ど存在しないと考えることが適切でもあろう。カジノが制度としてわが国に定着した場合、将来的には、わが国にも本邦企業としてのカジノ事業者が生まれてくるのかもしれないが、当面の間、本邦企業ではカジノ施設の経営や運営を担うことは難しいのではないかとする議論がある。この場合、米国や豪州・アジアを主体とした既に実績のある外国カジノ資本しか対応できないのではないかということになる。この様に、実態面で、カジノを含む巨大遊興施設を経営し、運営できる実績のあるのは外国カジノ資本で、わが国のIRもこれら企業が席巻してしまうのではないかという議論と共に、果たして、外国企業に独占的な賭博行為を許可し、巨額な配当が外国にいくことは如何がなものか、外資参入に際し、何等かの規制をかけるべきではないかとする意見すらある。投資案件としては巨額な案件になると共に、独占的な免許という利権が民間事業者に付与されることから、わが国企業やわが国産業に本当に裨益があるのか、何の為の制度なのかとする産業界からの懸念でもあろう。
民間事業者による施行を基本とする以上、事業者に国籍条件を課し、参入規制をすることは、外資を誘致し、日本をよりオープンな国にしようとするわが国の基本政策から乖離した考え方になり、適切な政策とは判断できない。法は常に中立、公平であるべきであって、企業の国籍条項を設け、これを差別することは好ましいとも思えない。但し、例え外国籍企業であろうとも、免許を得て、わが国に投資をすることが前提となるならば、わが国において本邦法人を設立することが条件となり、その本邦法人が事業者となり、地方公共団体との契約締結者であり、かつカジノの運営免許を申請し、取得する主体になることが想定される。但し、免許申請に際しては、親会社たる外国事業者も、本邦子会社と共に連帯して、申請者となることが要請され、海外の事業会社に対しても、清廉潔癖性の貫徹が要求されることになる。制度上、事業者としての国籍は関係ないが、一方申請者に要求される清廉潔癖性の在り方は、厳格に審査されることになり、ここにも何らかの差別的処遇があるわけではなく、例え外国企業であっても厳格な審査の対象になる。一方外国企業が独占的な賭博行為の経営により、巨額の配当を国外に持ち出すのは好ましく無いとする懸念は正当な考えであるとも思われない。事業者は巨額の投資を担い、かなりの事業リスクを取ることが前提になり、かかる投資や負担に対し、応分のリターンがあることは合理的な経済行為だからである。これは企業の国籍とは、関係無いのだが、賭博行為、独占性、外国企業という極めて特殊な要因から、どうしても排他的な考えが生まれてしまうのであろう。
では実際のIRの民間事業者とは全てが外資となるのであろうか。確かに欧米の大手カジノ事業者やマカオ、マレーシア、豪州に本拠を置く大手カジノ事業者は日本市場に対してのインタレストを明示しているが、外国事業者が単独で日本市場に参入できる程、わが国の市場は単純ではない。国、地方公共団体が複雑に絡み、コンプライアンス上も様々な諸官庁との対応や制約要因等が事業者に課せられることになること、事業としての所掌、責任、リスクもかなり大きくなることなどよりして、カジノ外の事業側面において、第三者と何等かの協力・連携体制を取ることが戦略としてありうること等から、わが国事業者とこれら外国カジノ運営事業者が合掌連携する可能性は十分あると判断される。あるいは我が国企業でかかる事業に意欲を示す企業が外国運営事業者からライセンスを得て、技術・運営協力を得たり、外国企業のブランド名で事業をしたりすることもあり得ない可能性ではない。巨額の事業となる複合観光施設の実現は、資金と共に様々な能力、知見が要求され、世界中の英知の結集が必須の要件になる。この意味では、日本企業が活躍する側面も多いのではないか。
一方、企業の事業構造を如何なるストラクチャーにするかに関しては、カジノ施設と非カジノ施設の整備、所有、運営を巡り、様々なストラクチャリングがありうるのではないかとする意見もある。例えば、カジノ施設とその他の施設の一体開発とを異なる主体が担い、リスクや収益を分担しあうとする考え等だが、カジノ施設と非カジノ施設は単純に分離して存在できるものではない。収益的にはカジノ施設がエンジンとなるが、巨額の設備投資費と減価償却は非カジノ施設が主となる以上、これら施設の所有と経営が一体化していなければ、全体としてうまく機能しない。また、企業間で複雑に資金のやり取りをするストラクチャーは、カジノ施設の運営・経営の責任を曖昧にする可能性もあり、規制当局がこれを認めない可能性も十分あるといえる。