カジノは金の卵を産むガチョウではないのだが、国、地方公共団体、民間主体いずれもが、興味を示すのは、カジノは、事業としての成功の確率が高く、かつ仕組み次第では高い事業性を実現できるということにある。最も、実態としては、直接的に関係しうる利害関係者である国、地方公共団体、民間主体間で収益は配分されることになり、制度の在り方がこれを決めることになる。公的主体が法律上の施行者となる前提をとれば、当然、公的主体が最大の収益の受益者となるであろうし、例え民間事業者が包括的受託者として一定の役割を担っても、その収益レベルは確実に制限されてしまう。この場合、民間事業者にとっての収益を増やす可能性はどうしても限られる。一方、法律上の施行者が民間主体である場合には、国、地方公共団体が如何なる税や納付金の考え方を取るか、制度の在り方がどうなるか次第で、民間事業者の収益の在り方が決まり、これが民間の投資行動をも左右する。即ち、税率や納付金の負担が小さければ、当然事業のもたらすキャッシュフローは豊かになり、これを前提に民間によるMICE施設を含む巨大な統合リゾートや複合観光施設への投資が初めて可能になる。逆に税率や納付金の負担が大きく、事業キャッシュフローが限定されることになれば、大きな償却負担はできないわけで、確実に民間主体は大規模の投資をすることはない。勿論これは、アップサイドの収益のポテンシヤルは、リスクと共に民間が担うという制度であることを前提としている。同様に、民間主体は税や納付金を含む制度の在り方と、実際にカジノ施設が複合観光施設として設置される地点における事業の市場性・集客力・競争力等を秤にかけ、投資行動をすることになる。税や納付金が低くとも、市場性の無い地点や、集客力を高める魅力が無い地点等の場合には、収益レベルが限定される以上、大規模投資はまずあり得ない。
この様に、カジノの制度ができれば、如何なる地点であっても、ラスベガス的な統合型リゾート(IR)が実現でき、膨大な投資効果や税収が見込まれ、約束された成功があると考えるのは、幻想でしかない。施設が設置される地点・地域における市場性や集客力、当該地点・地域におけるカジノ賭博の競合性、税や納付金、また運営に伴う諸経費負担の大きさ等により、民間主体にとっての事業性、収益やキャッシュフローは大きく変わるリスクがあるからである。一定の制度を国が設けた場合、その制度の下で、地方公共団体と民間主体が、如何なる地点で、如何なる内容・規模の施設を考え、如何にこれに投資し、これをどう実現するかは、意識的な枠組みを決めず、一定の地点を頭に抱く地方公共団体と民間主体の判断に委ねるべきであろう。地方公共団体があまりにも野心的な考えを前提にしたとすれば、市場においてこれに対応できる主体はいなくなる(判断を誤り、市場の狭隘さにも拘わらず、過剰投資で大規模開発を実現し、キャッシュフローが回らなくなったとしたならば、事業としては失敗することになり、そのリスクは民間事業者が担うことになる)。
この場合、
① 施設数を国全体として限定し、地域間のバランスをある程度考慮することにより、過度の競争を排除し、一定の地域独占が成立しうることより、事業の成功の確率を高くすることができる。この前提で、地域と民間の収益が最大化しうる合理的な事業規模・投資規模を地方公共団体の計画とその実現を担う民間主体に考えさせる選択肢を与えるべきであろう。これにより、非現実的な計画は自動的に排除される。
② 国や地方公共団体の収益の取り分の考え方が、民間事業者の投資行動・投資規模や投資意欲に大きなインパクトを与える。国は一定の収益取り分を自ら確保することのみにインタレストがあるといえるが、施設が設置される地方公共団体にとっては、税や納付金以上に、雇用や多種多様の経済効果も期待されるため、税や納付金のレベルをどう設定するかは、地方公共団体自らの判断に委ねる選択肢があってもよいのではないかと考える。何が地域社会にとって重要かは、地域の事情によっても異なるであろうし、地域社会や地方公共団体が判断することがより適切な施設や投資事業となりうるからである(失敗のリスクはあることを前提に、当該地域における市場性・事業性を冷徹に関連当事者が考えることこそが重要になる)。
③ 従来の公的部門がとった考え方は、賭博行為の全ての収益の公共による独占でもあった。賭博行為から民間事業者が何らかの利益を取得する考えに対しては、盲目的な反発も少なからず存在し、これは現在でもある。但し、これでは民間主体による大規模投資事業等はありえないわけで、リスクと共に、アップサイドの収益ポテンシヤルも民間主体に与えることが適切な考え方になる。勿論、この一部を官民が分担するという考えも存在し、例えば、収益の一部を地域における再投資に振り向ける義務や、投資償却、一定のリターン確保後の超過利潤は官民が分担するという選択肢もありうる。納付金率を低く設定し、投資を促し、アップサイドの収益ポテンシヤルがある場合には、収益分担の考え方を取る等も合理的な考え方といえる。
民による収益行動は非難されるべきではなく、当然の合理的な経済行為でもある。民が担うリスクに見合う応分のリターンを民が期待することは合理的な考えでもあり、公と民が施行に伴いお互いにメリットを得ることが本来のIR実現の狙いでもある。