インターネットを利用するオンライン・ゲームは90年代以降世界的に活性化した事象になるが、最近では、デスクトップパソコンで遊ぶゲーム以上に携帯電話を用いたオンライン・ゲームが爆発的な人気を博しつつある。(金銭のかからない無料の)オンライン上のゲームなのだが、時間をかけて習熟したり、勝ったりする場合、ゲームの結果としてキャラクターやアイテム、あるいは仮想通貨等を取得でき、上位のゲームに挑戦できたりする。この結果、これらキャラクターや仮想通貨を一般ユーザーから買い取り、金銭を支払うことにより買いたいとする顧客に販売する行為が生まれてしまった。これをRMT(Real Money Trade)と呼称している。時間をかけ、習熟することによりキャラクターを強くしたり、仮想通貨を取得することで武器を得たりして、更に強くなり、ゲームが面白くなるのだが、需要が根強いために、ゲームの外で現実の通貨でこれらを売買する市場が成立したわけである。実際の取引対象は、ゲームの仮想通貨の場合には通常100万が取引単位になり、ゲーム・アカウントの売買、物々交換、キャラクターのアカウント売買に始まり、なんとキャラクターの育成代行まである。ネット市場にて欲しいものを見つけ、クレジット・カードで決済し、ダウン・ロードするということになるのだが、実態面ではかなりの高額の取引もあり、かかる携帯ゲームを巡るRMTが携帯ゲームの射幸心を煽るリスクがあることを危惧する向きがある。あるいはこの取引形態は、携帯ゲーム市場の外に寄生してできたもので実質的にはゲームで得た商品としてのキャラクターを外で売買していることになり、これではパチンコの三店方式と類似的ではないかという声すらある。
2012年春、警察当局は関連事業者に対し、注意を喚起する等の行動をとり始めるとともに、携帯にゲームを提供している事業者は一斉に自主規制をする方向に舵をとった。もっとも、携帯にゲームを提供する事業者自身はゲームの利用規定でキャラクター等の金銭による売買行為等を禁止し、RMT関連事業者に対し、通告等もしてはいるのだが、全く効き目はなさそうである。ゲーム提供事業者の意向とは裏腹に、ネット上ではRMT事業者が生まれてしまっており、現実の経済行為として成長していることが事実となる。おそらくファン同士でのキャラクター等の物々交換から発展したのであろうが、例えばSecond Lifeという仮想ゲームではRMTが行われることを前提にゲームが設計されており、ゲームとRMTはほぼ一体化し、現実とバーチャルな世界が表裏一体の関係にある。このSecond Lifeは世界中で話題になったのだが、バーチャル世界で仮想通貨リンデンを儲け、仮想空間で、なんでも仮想的に購入できる仕組みなのだが、RMTにより実質的に賭博まがいの行為や、かなりいかがわしい行為が仮想空間で行われるようになってきたことも事実であった。この結果、例えば韓国ではこのゲーム自体が禁止になったという事実もある。純粋なゲームの外に寄生する換金市場という仕組みが単純に賭博行為といえるかに関してはかなりの疑問が残るし、単純に規制の対象となりうるかに関しても微妙な側面がある。問題はやはり、この仮想通貨を現実の金銭に変える市場が成立し、これ自体が目的化し、異常な程に発展し、不正アクセスや不正ツールの使用が垣間見られる状態になってしまったことにある。この結果、健全な消費者が不正やいかさまにより被害を受けることになった。
インターネット世界における様々な金銭取引を単純に規制の対象にすること自体は、市場の活力を削ぐ考えにもつながり、適切な考えとも思えない。ゲームのキャラクターや商品はある程度時間をかけ、ゲームの結果として取得されるべきものでもあり、その付加価値を外部でその所有者が売買すること自体は本来規制の対象とすべきではない。規制の対象にすれば明らかにネット市場のダイナミズムを壊す可能性があるからである。一方、RMTは不正アクセスや不正ツールによるキャラクターの窃盗、アカウントの窃盗等違法かつ悪質な行為の温床にもなってしまっており、これらが市場に出回っているという事実も存在する様だ。事実とすれば、これは明確に違法行為でもあり、消費者を保護する意味でも、かかる不正や違法行為は厳格に取り締まることは必要であろう。
バーチャルなサイバー世界は、法制度の枠組みとしては本来曖昧なインターフェース領域でもあり、何が適切で、何が好ましくないかの明確な規範が必ずしもあるわけではない。市場の発展はできる限り許容しつつ、不正をなくし、消費者を保護する何らかの合理的な制度的枠組みが今後求められることになる。賭博規制の目的は、不正やいかさまから消費者を保護することがその基本でもあり、いたずらに賭博行為自体を規制することではない。法のインターフェースとなる領域で如何にこの基本的な考えを実現できるかには知恵と工夫も必要になってくる。