我が国の教育関係者は、カジノや新たな賭博法制の創出と聞いただけで、未成年や青少年に対する悪影響を心配する見解を主張することが常となる模様だ。確かに教育とその対極にある遊興、しかも金銭を賭する遊興とは相容れない側面があることは間違いない。賭博遊興とは、成人が自己責任の下で担う遊興でもあり、未成年者は当然のことながら、法律上の欠格者となり、これに参加することも、当該施設に立ち入ることも禁止されることがすべての前提になる。この考えを担保するために、カジノ施設への入場に際しては、たとえば免許証等の顔写真付きの書類をもって本人確認を義務づけることが想定されている。本人確認を要求する集客施設での入場規制は我が国では殆ど前例はないが、アクセスを厳格に管理することにより、未成年者による立ち入りは、確実に生じないようにすることができる。これにより子供たちに対する直接的な影響は回避することも可能になる。
一方、かかる賭博行為を制度として認めることによって生じる、未成年者への間接的な悪影響を懸念する声も強い。但し、間接的な悪影響といっても、現実的には因果関係を特定できる事象を対象とした意見ではなく、漠とした概念的、理念的な主張であることが殆どである。あるいはかかる遊興施設の存在そのものが、地域環境の悪化をもたらすという懸念も、既存の遊興施設や類似施設からの類推であることが多く、規制や実際の施設の在り方を踏まえた議論ではない。もっともしっかりと勉強し、真面目に働くことを教えることがあるべき教育の理念とする教育者の立場からすれば、遊びのために金銭を消費する、あるいは一攫千金を求めて、賭博に金銭をつぎ込む、更には借金をしてまで賭博にのめりこむ等、あってはならない非教育的な行為に写る。もし、かかる行為が放置されるとしたならば、何等かの間接的な悪影響はありうるのではないかとする懸念がここから生じてくる。この現実を前に教育者の立場として、子供たちに何をどう教えるべきなのか、政府施策により新たな法律により設置される賭博施設をどう説明できるのか、どうしたら未成年を潜在的危害から守ることができるか等という問いでもある。
もっとも現代社会では、子供たちに悪影響をもたらしうる様々な施設や仕組みが氾濫しており、これに対する効果的な規制等は存在しない。テレビや媒体により、高額賞金となる宝くじやTotoの購入を煽る映像は巷にあふれているし、様々な公営賭博施設や街角にはパチンコパーラー等も存在し、子供たちを隔離できえない様々な誘惑や遊びが現存する。あるいはインターネットは、自宅から子供たちが有害なサイトへアクセスすることをいとも簡単に可能にしてしまう。この様に、現代社会では、潜在的にリスクがあると判断される領域から子供たちを物理的に遮断し、防御できる環境や効果的な体制はできておらず、残念ながら完璧ではない。技術の進展や社会の成熟化は、知らない儘に子供たちによる危険な領域へのアクセスを可能にしてしまっている。伝統的な教育者の立場とは、現実の社会の在り方を見せない、教えない、知らしめないということで子供たちを潜在的危害から隔離し、その存在すら無視して、保護するというものであった。確かにこれも一つの手法でもあるのだが、隔離することのみが本当の解決策になるのか、子供たちを守ることに繋がるのかに関しては一考が必要である。
かかる状況は先進諸外国でも同一であって、複雑な現代社会にあって、子供たちを守る一つの効果的な方法は、大人の社会にある現実とリスクを正確に教えることではないかとする考えや教育の実践が広まりつつある(例:豪州、カナダ等)。
すなわち、
i. 未成年者はアクセスできない大人の領域があることをきちんと教える(例えばタバコ、アルコール、賭博等である)。
ii. 未成年者によるアクセスが禁止されているのは、しっかりとした判断力を持ち、自分自身がコントロールできない限り、かかる消費は一定のリスクをもたらしうるからである(例えば賭博依存症等は、一種の精神疾患で、自分自身をコントロールできなくなる症状をいう)。このリスクとはどんなものか、どういう状況で生じるのか、防止できる仕組みはあるのか等をしっかりと教える。
iii. 成人個人として、他人や社会に迷惑をかけず、これらリスクをしっかりと理解し、責任を自分で取れるようになるまでは、子供たちが参加できる領域ではないし、これに近づくべきではないことを納得させる。
iv. 但し、成人になった場合、あくまでも自己責任の下で、自らの判断により、これらを消費したり、かかる行為に参加したりすることは、否定される行動ではないことを教えることも必要である。
等になる。
リスクを教えず、その存在を無視して、子供たちを隔離するだけでは、問題の解決にはならない。現代社会に現存するリスクを正確に教え、リスクに対する理解力や判断力を高め、リスク耐性を強くする教育を徹底することこそが、子供たちを守ることに繋がる。適切かつ合理的な判断力を醸成し、リスクを理解した上での行動ができる国民として育てることが本来の教育になる。知らしめない、教えないという過保護環境のままで、危険な環境に晒させることこそが、将来の若者にとっての大きな危害となりうることもある。