商業的賭博行為を施行するに際し、犯罪組織がかかわりうるのか、かかる可能性が本当にあるのかを理解することはゲーミング・カジノの法制度の考えを把握するためには必須の要素になる。もし、犯罪組織が施行者となった場合、彼らが賭博行為から違法に収益を得るには、下記二つの可能性がある。即ち、①相対で対峙する場合、いかさまにより顧客を騙すこと(僥倖ではなく、確実にハウスが勝つようないかさまをするわけで、これでは詐欺になる)と②ハウスが売り上げを掠め取ること(売り上げの過少申告で税金支払いをごまかす行為になる。①はありそうで中々ありえないのは、顧客が離反すれば、賭博行為は成立しないからである。一方、確実におこりうるのは②であり、この場合、顧客は関係ないが、国をごまかす脱税行為になり、当然犯罪を構成する。
賭博行為とは本来、顧客にとり公正、公平であるべきで、これを提供する主体が、意識的に勝ち負けを操作したならば、顧客は最初から騙されていることになり、僥倖を期待する意味がなくなってしまう。19世紀米国で生じたルイジアナ州ロッテリーのスキャンダルは上記の①と②の両方が生じ、かつ一部鞘抜きをした資金が政治家や為政者に賄賂として流された事件でもあった。顧客が複数の州にまたがったため、一大スキャンダルとなり、全米規模でロッテリー賭博が禁止となる事態を招くことになった。これは解かりやすい事件だが、より複雑になるケースとは、犯罪組織が関与しながら、顧客に対しては厳正に公平、中立で、一切のいかさまをなくし(即ち顧客に対しては①を担保し)、安全性、健全性を保持しつつ、②の行為により、為政者や規制者をごまかし、脱税する行為になる。ここに犯罪組織が巧妙に入りこむことになる。
この場合、施行者がマフィアであろうが、犯罪組織であろうが、顧客のレベルから見た場合、安全さ、健全さ、公平さが保たれているわけで何ら問題はなくなってしまう(逆に犯罪組織がコントロールする場合、秩序は保持され、顧客や仲間内では、暴力沙汰も不正も一切起こさせないということがおこる。不安があれば顧客は逃げてしまうからである。お客が逃げれば、商売は一切できなくなる)。また内部の者が、組織ぐるみで、つるんで脱税を図る場合も、外部や規制者からは、実態が見えにくいと共に、不正な行為が中々露見せず、犯罪の立証ができにくい事象が生じてしまうことがおこる。犯罪組織が、経営者、株主、従業員のどれかないしは全てを自在にコントロールすることができれば、例え、犯罪組織が裏に隠れていても、表から見てもわからないように、同じ不正や脱税をすることは可能となるからである。
このように、賭博施行に犯罪組織がからみやすいのは、彼らにとり、理想的に売り上げ収益をかすみとり(スキミングするという)、かつこれが犯罪であることを立証できにくい事象を構成できる可能性が限りなく存在するという事情にある。このかすみとった収益を犯罪行為に使うわけだが、その一部を政治家、行政官、公安当局に賄賂として提供し、彼らを取り込んだり、一旦これらを取り込んだ上で、脅しや恐喝、圧力、暴力を行使し、法の執行ができにくいようにしたりすることも昔の米国では事実として存在した。これが犯罪組織の商業的賭博への介入の歴史的経緯になる。
もし、犯罪組織が商業的賭博行為に、この様に、複雑な形で介在しているとしたならば、これを排除するには相当の努力を必要とする。米国のラスベガスで、マフィアをカジノから排除するために相当の時間としっかりとした制度構築を必要としたのは、あらゆる関係者に犯罪組織の影が存在したからでもあった。これらを段階的にかつ徹底的に排除するためには、規制の網と中身を段階的に厳格化し、マフィアがカジノにたかることのメリットを完璧なまでに排除する仕組みを作るまでに時間を要したからに他ならない。犯罪組織が収益をかすみとることが不可能になったと悟った場合、彼らがカジノにいる必要性もないわけで、健全な所有者、企業にその所有権がとって変わられるようになった。一方、ゼロから制度を構築し、商業的賭博を始める国の場合には、これら過去の歴史から多くを学ぶことができる。何をどこまでどう措置すれば犯罪組織をシャットアウトできるのかの実務手法は、精緻に構築された考えが存在し、これが長年に亘り、実践され、明確な効果を上げているからである。