犯罪組織は、油断をすると権力機構の内部にも巣くう可能性があることは歴史が証明している。18~19世期の米国における商業的賭博とは賭博を施行する権限を民間主体に付与し、当該民間主体が一定の利権を取得できる構図で、かつその規制の在り方が甘かったが故に、犯罪組織が中に入りやすい仕組みを提供していた。事実、その中に入り、自らの利権を保持するために、議会や為政者との癒着、汚職、賄賂が横行し、強固な仕組みをつくってしまったというのが歴史的事実になる。しっかりとした法や制度、これを執行する仕組みがない場合、利権は自らを増殖し、社会の仕組み全体をむしばみ、機能させなくなってしまうということも起こりうるということが現実なのであろう。
現代社会においても、制度や規制の間隙を狙い、知らぬ間に、上記のごとき事象が生じてしまうリスクは必ずしもゼロではない。かかる懸念が存在する以上、商業的賭博の制度や仕組みを創出する場合には、その存在そのものの中に、かかる犯罪組織の関与や犯罪の要素である癒着、汚職、賄賂を起こさせない工夫を織り込むことを全ての前提にすることが通例である。では如何なる要素に工夫を凝らしているのであろうか。
下記考え方がその大きな要素になる。
① 規制機関の独立性を担保し、政治や行政の干渉を排除する体制を前提とする:
利権が絡む場合、特定の主体に便益を与えるために、政治家が、行政府や規制機関に対し、政治的影響力を行使したり、行政府が自らの利害関係のために職務上の地位を濫用し、規制機関に圧力を行使したりすることは皆無ではない(この裏に、特定の民間主体による賄賂や汚職が絡んでいるということもありうる)。この様な圧力や干渉を避けるために、規制機関の中立性と独立性を担保する必要がある。通常の場合、国の機関として独立した権限を付与され、首長の指名により、議会の認証を得た(その地位が保証される)有識者で構成される独立した行政委員会がかかる任務を担うことが多い。勿論委員会の所掌、責任、権限は国や地域の事情によっては大きく異なる。一方、主務官庁が権限を集中してかかる業務を担うことは希である。行政府自らがかかる任務を担う場合、どうしても行政府のインタレストが表にでてしまい、癒着や歪みが生じかねないということなのであろう。この意味では独立した行政機関が規制機関としての役割を果たすことが諸外国では通常となる。
② 規制や法の執行を担う行政機関の権限の集中を避ける。権限を分散し、お互いが牽制し、拮抗しあう仕組みを前提とする:
権限がある特定の主体に集中する場合、どうしても癒着や汚職、賄賂などが生じてしまう可能性が極めて高くなってしまう。民主主義国家の権限が三権分立として構成されているのは、権力の濫用を防ぎ、チェック・アンド・バランスの体制を維持するためでもあるが、ゲーミング・カジノの場合も全く同様である。規則を定め、許諾権限を保持する規制機関と、関与しうる民間主体の適格性を審査し、法や規則の遵守を監視し、違法行為を摘発する公安・警察機関、係争や摘発の是非を判断する司法主体とは各々が別々の主体であることが必須の要件となる。権限が集中した場合には、必ず癒着や腐敗が起こりうるリスクが高まるからである。
③ 民間施行者と規制をする主体、運営を監視し、違法行為を摘発する主体とは緊張感のある関係を維持させ、できる限りこれら主体間の距離をとることを前提とする:
規制機関や法を執行する機関の構成員、職員は、退職後一定のクールダウン期間(冷却期間)を置かない限り、関連業界に再就職することはできないとする規定を設けるなどの考え方になる。所謂天下りないしは癒着を避けるための仕組みにもなり、許諾の判断や、法の執行が甘くなる事を防ぐための制度的な配慮になる。安易な天下りの慣行は、確実に法の執行を危うくさせるリスクがある。
④ 施行に係る主体の政治との関係を遮断させる:
例えば、施行に直接的に係る主体による政治献金の禁止などになる。委員会の構成員たる委員が特定の政党支持者に偏らない配慮を措置したり、政治家による接触を禁止したりすることなども規定されることが多い。政策、政治と法に基づく規制とその執行を、これらを担う人に着目して、完璧に峻別することになる。