商業的な賭博行為は如何なる主体が施行者となり、どのように担われているのであろうか。競馬や宝くじ、ロッテリーなどのパリ・ミュチュエル賭博の類型は、公的主体や公的な機関等が主催者となったり、利益の配分者になったりすることが多い。これは、施行者が賭博に参加せず、リスクもなく、運営を主催し、投票券を販売することが主業務となり、この仕組みを前提として、公的部門が全体を管轄するという手法がとりやすいことがその理由となる。かつ、施行そのものが、巨額なキャッシュ・フローを生み出すことができる以上、単純に民に委ねた場合、不祥事や不正が起こりやすく、公的主体が独占することが好ましいという考えが支配的な考えであったという事情もある。歴史的にはかかる賭博類型は、例えば米国のロッテリー賭博を例にとると、独立後、19世紀にいたるまで、特定の民間事業者に一種の独占権を与えて、ロッテリーの運営をさせ、その売り上げの一定部分を控除し、税金として納付させるというスキームが基本でもあった。ところが実際に生じたのは、主催者による売り上げのごまかし、配当のごまかし、このうちの一部が為政者や議会に賄賂として手渡されるなどのスキャンダルの横行でもあった。これが19世紀にロッテリーが全面的に米国で禁止になった理由の一つともなっている。顧客からしてみれば、買った宝くじに当たりも配当もないということになりかねず、詐欺に等しいのだが、当時のロッテリーにはこの様なリスクがあったのであろう。
現代社会におけるロッテリー、競馬などのパリ・ミュチュエル賭博では、賭け金行動が行われた時点で、顧客配当分と主催者控除分を明確に峻別し、かつコンピューター処理するためにごまかしはきかず、最早このような不正は起こりえない。よって、民に委ねても、昔のような問題が生じることはないのだが、歴史的にこの賭博類型は、公的主体ないしは公益的な主体が主催者となり、運営を担う、あるいは公的部門を主催者として、運営の一部を民間に委託して施行するケースが多い。運営的にも単純で、リスクが限定され、やりやすいという状況があるためである。これはわが国でも同様の状況であろう。
これに対し、ハウスと顧客が相対峙するカジノの様なバンキング・ゲームの場合には、施行者には多様なあり方と可能性が存在し、パリ・ミュチュエル賭博とは根本的に異なる状況にある。世界で行われている基本的な考え方は①ライセンス(免許)ないしはコンセッション(特権許諾)により認められた特定の民間主体が一定の条件の下で施行するという手法になる(米国、欧州その他オセアニア・アジア諸国等)。一方、②官と民とのJV方式も存在する(これは、施行主体が独占権を保持する特定目的会社一社になり、そこに公的主体が出資しているケースなどが多い。韓国のカンウオンランドは政府公社、地域の地方自治体と民間出資者のJVになる。モナコのカジノ運営事業者は公開企業だが、やはり歴史的に公国が一定の出資率を持つ大株主となっている)、あるいは③公的主体が法律上の施行者でありながら、公社あるいは許諾を得た民間主体に施設の整備、維持管理、運営を包括的に委託し、リスクと便益を分担し合う手法(カナダのオンタリオ州などがこの手法になる)なども存在する。一方、④公的主体が直接自ら運営するというケースは、ありそうだが、現実には存在しない。
尚、より一般的には、バンキング・ゲームの場合、胴元が賭博のリスクを担い、顧客と対峙すること自体、本来公的主体がやるべき行為ではなく、施行は民に委ね、公的主体の役割はあくまでもこれを規制し、健全性、安全性を担保しつつ、税などのメリットをとることが本来の姿という考えが支配的になる。顧客たる国民に公的主体自らが賭博サービスを提供することが政策の目的ではあるまい。かつまた政策目的が複数に跨る場合には、ゲーミング・カジノだけではなく、これに関連した様々なアメニテイーや観光サービスをも同時に顧客に提供することが要求されることになり、こうなると益々これは公的主体自らが担うべき業務とはなりにくい。公的部門の役割とは、制度を創出し、市場を適切に動かす枠組みを作り、この全体を管理するイネーブラー(枠組みの創出者)であって、それ以上でもそれ以下でもないということである。