過去、あらゆる国、地域において、様々な賭博種に関する法体系は、賭博種毎に構成され、かつ賭博種毎に主務官庁が異なったり、規制や監視の枠組みも大きく異なったりするというのが現実であった。事実如何なる国においても、商業的賭博行為は基本的には一定の公益目的のための財源確保という側面があり、この為に明確に法律にその趣旨が記載され、縦割りの制度により個別の省庁毎にその管理・監督がなされてきたという経緯がある。国毎、賭博種毎に個別に法制度があり、国としての全体の政策的な整合性や一貫性は必ずしも考慮されていなかったということでもあろう。あるいは、かかる仕組みがもたらす問題が問題として正確に認識されていなかったという可能性もある。施行の目的が財源確保である場合には、かかる縦割りの仕組みは施行に伴い、固定化してしまう傾向にある。一方、様々な許諾賭博はその目的は確かに異なるとはいえ、共通して配慮すべき政策的事項も存在する。例えば賭博行為がもたらす社会的に否定的な側面(依存症患者対応施策)などで、賭博種毎にバラバラにこの問題に対応することはおかしく、本来統一的な配慮と政策が考慮されるべきである。かかる事情により、先進諸外国においては、賭博法制度に関しても、過去のバラバラな制度を見直し、現実の社会的ニーズを見据えて、より整合性、一貫性のある制度へと改定していくという趨勢にある。
この議論の前提として、制度的に認められた商業的賭博行為を一国の公共政策の中でどう位置づけ、如何なる方向にこれを向かわせるべきかの議論が必要になる。そのためには、まず一国内における既存の様々な制度を冷静に評価し、検証することが前提になる。中立的な第三者にかかる評価を委ねつつ、議論を深めることが適切でもあろう。この結果、政策のあり方や現実を見据えながら、あるべき方向性を考えるということが、先進諸国が志向している政策的アプローチになる。一部の国では政府や議会の指導でこれを実践し、賭博制度そのものの現代化、合理化、統合化を図る動きにある。例えば、ニュージーランドや英国、オーストラリア各州の動きがこれにあたる。わが国と同様に、これらの国々においても過去、異なった賭博種毎に異なった法制度、異なった主務官庁や規制機関が存在していたが、政府の音頭により、賭博法制度全般を改定することを前提に、一国の政策の中であるべき論をまとめ、これに基づき体系的に賭博諸制度を位置づけ「統合賭博法」なる概念を制定した。取られた方法は、議会や政府のイニシアチブにより、専門家からなる第三者機関に現状の評価やあるべき選択肢を検討させ、これをもとに議論と検討の輪を広げ、その結果として、制度自体を再構成し、既存の法体系全般を改定するというものであった。
この背景には、①社会的影響度の多寡はあるが、如何なる賭博種も基本的には賭博行為であり、同じ施策、同じ視点から制度そのものを考えることが本来適切であること、②すべての賭博種に共通する事象は潜在的社会的危害だがそのインパクトや社会に対する影響度のあり方は賭博種毎にレベルが異なること、③この差異、即ち、賭博に内在するリスクをどう効果的、効率的に管理するかにより制度全体を考慮することが社会的に最も好ましい結果をもたらすこと等という考え方がある。これは、賭博規制のあり方の根本を見直し、その厳格度も賭博種ごとにそのリスクに応じて、柔軟に変えること、また、類似的なものは束ねて、規制の組織やあり方をできる限り、合理化し、簡素化するという考え方でもある。これに伴い、規制機関も単一行政組織として集約されることになる。単純に個別の省庁に利する特定財源のみを確保することが賭博の政策目的という考えでは、例えそれが公益に適っているとはいえ、かかる考えには至らない。公益とは何か、如何なるバランスをもって、賭博行為を認めつつ、これを合理的に規制の対象にするかという課題の認識がなければ、かかる発想も浮かんでこないであろう。
例えば、ニュージーランド等は賭博を施行することから生じる依存症患者のための財源は全ての賭博種の売り上げに対し一定の賦課金を課すことで賄うが、賦課金の率は各賭博種のリスクに応じて変えるという考え方をとる(カジノの如き射幸性の高い賭博種は、当然高くなり、パリミュチュエル賭博は安くなる)。賦課金を課すという考えと手法は共通にし、賭博種毎にリスクに応じて賦課金の率を変えることになる。かつ、環境も変化しうることから、3年毎に実体にあわせてこの賦課金の率を見直すという前提もとっている。また規制の主体も内務省傘下の行政委員会である賭博委員会に全て集約し、あらゆる賭博種を横断的、統一的な考えのもとに規制することを実践している。