1931年 ネバダ州において、州全域で賭博行為が認められるようになり、これが米国における第三のブームの幕明けとなった。商業的賭博の許諾は、1929年以降の大不況に伴う不況対策でもあり、観光・遊興やこれに伴う税収をばねに 経済浮揚を図るという政策がその背景にあった。もっとも大戦の影響等もあり、その後15年間に亘り、必ずしも賭博行為が同州で栄えたというわけではない。賭博行為が本格的に発展し始めたのは第二次世界大戦後のことになる。またこの時期ネバダ州のカジノに着目し、その施設整備や運営のために資金を拠出し始めたのはマフィア組織であった。この端緒となり、今日のラスベガスの礎ともなった施設は、1947年バグジー・シーゲルにより開設されたラスベガスのフラミンゴ(カジノ)であろう。彼は東部ニューヨークでは、過激な暴力犯罪歴があり、マフィアの一員であったにも拘わらず、ネバダ州では堂々と合法的にライセンスを取得し、カジノに参入できている。ライセンスは単純に金で買えたわけで、当該ライセンス申請者の適格性等は問題にもされず、当時の規制の甘さや社会の在り方を反映しているともいえる。もっともバグジーの創作でもあったこのフラミンゴは、多様なエンターテイメントを提供する新しい遊興リゾート施設として全米の注目を浴びることになった。これがきっかけとなり、ラスベガスの単純賭博施設を誰もが行きたがるエンターテイメント・リゾート施設へと変えたのは、マフィアの資金力と組織力であったともいえる。これが賭け事を好む米国人をラスベガスに惹きつけ、50年代のラスベガスにおける一大カジノ建設ブームをもたらした。マフィアをカジノの中に内包しながらも、ラスベガスのカジノは継続的な発展をし始めたことになる。
一方、1950年代を通じて、連邦議会の上院に設置された「州際間取引に関する組織犯罪調査委員会」は、カジノ産業における犯罪の影響を問題視し、議会で取り上げ始めた。この委員会は、幾多の公聴会を実施し、マフィアによる脱税(スキミング)に関する広範囲の証拠を公表し、カジノ業による脱税や犯罪組織によるカジノへの関与を段階的に国民の前に明らかにしていった。この結果、当時の国全体の政治的風潮は、連邦政府が、連邦レベルでゲーミング・カジノ自体を禁止しかねないような状態にあったともいえる。委員会の結論は、犯罪の摘発でもあり、カジノ産業自体を健全化することでもあった。この連邦政府の動きがネバダ州の為政者を動かし、同州は連邦政府と協調しつつ、マフィアを締め出す政策を段階的に実践するようになっていった。50年代から60年代にかけて、連邦政府や州レベルの双方で様々な制度構築や厳格な法の執行が段階的にとられたことにより、最終的に、マフィアはカジノから撤退し、その経済的権益を合法的な個人や上場企業に売却することになる。 このマフィアをカジノ賭博から放擲する過程は、ラスベガスにおける新たな建設ブームともダブっており、様々なリゾート・カジノ・ホテルが建設され、カジノ自体の健全化が促進された。
1894年から1964迄、州政府がスポンサーとなるロッテリー賭博は全く存在しなかったが、1964年にやはり経済的誘因により北部のニュー・ハンプシャー州がロッテリーを再開する最初の州となり、これが成功する。1967年ニューヨークがこれに続き、更なる大成功を達成する。ニュー・ジャージー州は、1971年に最初の近代的ロッテリーを主催し、成功した。その後ロッテリーは全米で、州毎に展開されるようになり、現在では42州とワシントン特別行政区で実施されるまでに成長している。
ゲーミング・カジノは1970年代を通じ、ネバダ州のみで行われていたが、1978年にニュー・ジャージー州はアトランチック市という廃れたリゾート地域を再生する試みとしてカジノ賭博を合法化する二つ目の州となった。1800年代後半から1900年代初期の間、アトランチック市は北東を繋ぐ鉄道サービスにより、典型的な東部における海浜リゾート地でもあった。これにより、日帰り旅行が安価な費用でできたからである。しかし戦後、飛行機による旅行が可能になるととたんに人気を無くすことになる。顧客はビーチ・リゾートなら、フロリダ、バハマ、カリビア諸島等より魅力的な地点を選んだからである。1960年代から1970年代のアトランチック市への旅行者は一般的には老人か必ずしも富裕ではない人たちのみになり、段階的にリゾート地は疲弊していくことになった。カジノ・ゲーミングは、このアトランチック市を、再度人気のあるリゾート地へと再生する試みでもあり、これが大きな成功をもたらすことになった。 このニュー・ジャージー州の成功は、その後、ドミノ効果の如く様々な州においてカジノ・ゲーミングを合法化し、実践する試みに繋がり、現在に至っている。
1988年には「連邦先住民ゲーミング規制法」が成立、部族が居留地内で施行する部族カジノという新しい分類のゲーミング賭博施設が登場することになり、これが上記動きに更に拍車をかけることになった。また、1980年代後半以降90年代に亘り、ラスベガスでは巨大なメガ・リゾート施設やテーマパークホテルの建設が始まり、再度大きなカジノリゾート・ブームをもたらし、現在までこれが継続している。上記が戦後から現代社会まで続く、第三次ブームの流れになる。