別の角度から米国におけるゲーミング・カジノ規制を考えてみると、下記特徴を指摘できる。
① 多段階、多層階に亘る厳格な規制と監視の仕組み:
規制の仕組みは、単純化すると、業への参入を厳格にし、リスクのある主体を入れさせないこと、施行の在り方(行為)を規制し、かつ適切な施行が為されているかを監視すること、法の厳格な執行(違法行為の摘発と厳罰)を実施することという多層的な考えで構成されている。法の執行を担保するために限りなく緻密な仕組みを作り、これを多段階で実践し、完璧を期するという考えでもあろう。参入規制や行為規制はどこにでもある考え方だが、規制を作るだけで、違法行為の摘発を厳格に実施しなければ、誰も規制を守らなくなってしまう。これでは効果は薄くなるわけで、限りなく法の遵守が徹底されるように、監視と摘発の仕組みを精緻に構築し、厳格にその運用を実践させ、これを監視し、違法行為を厳格に摘発することが、基本的な考えになる。もっとも単純に厳格にするだけでは、民間企業の意欲を削ぐことにもつながりかねない。この厳格な仕組みと企業の自由な活動とのバランスを取ることに配慮し、初めて適切な施行がなされることになる。
② 企業、個人、利害関係者に要求される最高水準の清廉潔癖性:
マフィアが現実に存在していた状況で、マフィアをカジノから完璧に遮断するために、賭博行為に関係しうる全ての主体に要求される倫理的価値観として清廉潔癖性(Integrity)を位置付けている。この考えを制度の背景として制度自体が構築されたという経緯がある。マフィアは合法的手段により、善良な個人をたぶらかし、参入する可能性があるわけで、単純に規制さえ設ければ、悪や不正の抑止はできると楽観的には考えず、徹底的かつ最高水準の清廉潔癖性を関係者に要求することが制度の特徴にもなっている。但し、半世紀前なら理解できるが、かかる厳格な規制が現代社会においても本当に必要かに関しては疑問がないわけではない。カジノ産業の厳格な制度は米国の産業の中でも、最も厳格に清廉潔癖性をその経営と運営に要求するものではあるが、今や米国でも一流の上場企業がこれを運営しており、最早悪も組織悪もその中に入れる余地は少ないと考えられるからである。
③ 申請者による自己申告と立証義務、ライセンスは特権:
ライセンス申請行為は詳細な申請者による自己申告により申請者自らが清廉潔癖性を保持していることを立証する義務を負うという考え方をとる。これは、背面調査により規制当局がその実態を精査し、問題を指摘した場合、これに反論し、自らの正当性を立証せざるを得なくなることを意味する。許諾の判断は規制機関にあり、特権(プリビレッジ)である以上、一定の要件に達していると判断されるときにのみ許諾され、もし、この要件が(ライセンスが付与された与後でも)満たされていないと規制機関が判断した場合、一方的な剥奪の対象となってしまう。この意味ではライセンス保持者にとりライセンスを取得できているという事実は何らかの価値ある物権を保持していることとは本質的に異なる。これはある意味では連邦憲法が保証している個人に対する権利を適用しない考えになる。特権であり、これを付与するか否かは連邦政府ではなく州政府にある以上、権限を保持している州政府の機関が一定の否定的判断(例えば拒否、剥奪)をしても、その判断は最終になり、これを上訴できないという仕組みになってしまう。連邦制の仕組みからでてくる結論となるが、一定の行政判断にチャレンジできないという構図でもあり、極めて米国的な考えでもあるといえよう。
④ 背面調査の実施と個人情報保護の例外:
免許(ライセンス)の申請に際しては、申請者による明示的な同意を得て、申請者による申請事項の適格性が詳細にチェックされることになる。個人情報に関わる詳細な背面調査が実施され、個人の過去に亘る財務状況や銀行における入出金の状況などの個人情報が詳細に検証されることが通例となる。申請者はこれを拒否することはできない。
尚、米国における賭博全般に係わる規制や制度を見た場合、様々な賭博種間で共通的な要素がないわけでもないが、ゲーミング・カジノはかなり特異な分野となる。もっとも、約半世紀に亘る実績と経験に基づき、ゲーミング・カジノの安全性、健全性は認知されつつあり、制度や規制の仕組みも現実に合わせて、段階的に緩和されつつある趨勢にある。一方、ロッテリー、競馬等のパリミュチュエル賭博に関しては、規制や監視、法の執行の側面では、いずれもが既に簡素化しており、これらとゲーミング・カジノ法制とは単純に比較することはできない。