果たしてこれをカジノというのかは微妙だが、スロット・マシーン、電子式機械ゲームやビデオ・マシーン,VLT等の賭博機械のみを設置するカジノ施設類型がある。同種のものはスロット・カジノやスロット・パーラーとしてオーストラリアやニュ・ージーランド、一部欧州諸国にも存在する。また米国ネバダ州では例えばスーパーマーケットや小規模飲食店等に設置される数が限られたスロット・マシーン等も類似的な施設になる(尚ネバダ州では、これら小規模事業者が独自にライセンス許諾を取得するケースと、ルート・スロット・オペレーターと呼ばれる専門事業者がライセンスを得て、機械を所有・運営し、機械設置スペースを施設貸与者から借り、収益を施設貸与者と分担しあうなどのビジネスの類型が存在する)。これら施設の特徴は、市街地内部、あるいは都市近郊などの人口が集積した地域を対象とし、中小規模で、市民社会に溶け込んだ施設となることにある。顧客はあくまでもその近隣住民であることが前提である。
その設置目的は、コンビニエンス・ストアのように、気軽に、かつ手軽に賭博行為を楽しめることにあり、かかる賭博の在り方を「コンビニエンス・ギャンブリング」(comvinience gambling)とも呼称している。ネバダ州以外でかかるスロット・マシーン・カジノが存在するのは、主に最近の東部諸州であり、バンキング・ゲームは認めないが、スロット・マシーン・カジノは認めるという動きになる。これは東部諸州におけるレイシーノ(競馬場に併設されたビデオスロット・カジノ)の許諾とも関係しており、競馬場に設置するならば、競馬場外にも類似的な施設を設置してはどうかという動きが存在したことになる。
これら施設には下記特徴がある。
① 電子化・システム化による管理・監視の簡素化と合理化:
賭博機械の電子化、システム化の動きが、かかるスロット・マシーン・カジノないしはビデオ・マシーン・カジノの登場を可能にしている側面がある。電子化された機械のみの賭博施設である場合、明らかに管理や規制を単純化することができる。かつ、監視も単純になる。またこれに伴う規制の社会的費用も大きくないという特徴があり、税収のメリットを確実に上げやすいという効果もある。
② サーバー管理型システムによる透明化、合理化と不正の根絶:
上記は、サーバー管理型のVLT(ビデオロッテリー・ターミナル)やサーバー管理型スロット・マシーンを主体にした電子機械群である場合、更に簡素化できる可能性がある。サーバーを管理し、規制の対象にすれば、末端で意図的な操作はできず、まず不正は起こりにくいからである。あるいはサーバーから情報を共有できる端末機械が規制者側にあれば、その動きを現場に行かずして、把握できることになり、管理も監視も極めて容易になる。
③ 既存の規制システムの活用による規制費用の縮減化:
ビデオ・ロッテリー・ターミナル(VLT)の場合、既存のロッテリー委員会などの規制組織がかかるゲーム機械のみの規制者を兼ねる場合が多い。技術標準や一定の規律や規則が必要となるが、バンキング・ゲーム程緻密な制度が必要となるわけではない。制度や監視の仕組み、あるいは、規制者もある程度、簡素化しながら施行できる可能性が高い。
④ 類似競合施設や競合市場が無い場合、高い成功の確率:
周辺にゲーミング賭博施設が無く、かつ類似施設も無い場合で、都市部で人口が稠密な地域の場合や、周辺に巨大な人口密集区がある場合、かかる施設であっても、確実に顧客を惹き付けることができ、成功が約束されることが多い(ペンシルベニア州、デラウエア州、西バージニア州、ニューヨーク州の動きなどはこの一例で、明らかに東部諸州の人口密集地帯を潜在的な顧客とする立地になる)。もっとも、一部東部におけるスロット・マシーン・カジノは、小規模どころではなく、一施設あたり数千台をも設置する結構大きな施設として既に存在するところもあり、米国においてギャンブルのコンビニ化は予想以上に進みつつある。
⑤ 制度創出の容易さ:
技術やシステムの発展に伴い、既存の制度を変更することにより、導入が可能になる側面があり、かつ規制が単純となることより、制度として創出しやすいという特徴も存在する。
このようにギャンブルの個人化、機械化、システム化は技術の進展により、かなり進歩しつつある。一方、手軽に市民に提供できるかかるギャンブルへの志向は、社会全体にとり、賭博依存症患者を増やすことに繋がっているとの指摘も多い。電子式機械賭博には射幸性の高い機種等も存在するからである(オーストラリアやニュー・ジーランドでは、機械ゲームこそが賭博依存症問題を引き起こす主要因として、市場における総設置台数を制限したり、スロット・パーラにおける顧客の行動に規制をかけたりする法的措置が取られたが、米国ではかかる動きは無い)。消費を強制的に抑制するような制度では、規制とはなりにくいという事情があるためでもあろう。