如何なる施設がどのように実現してきたのかを知ることでラスベガス市の概略の歴史と発展の経緯を知ることができる。1931年の賭博行為合法化の時点では、その1ヶ月後にライセンスを取得したのはわずか9社のみであったという。制度的には存在したが、実現した施設の規模は小さく、その後15~16年間は、大きな動きも無かったのが現実である。1941年ホテル事業者トミー・ハルが建設した「エル・ランチョ・ベガス・ホテル・カジノ」(El Rancho Vegas Hotel Casino) が、今でいうリゾート型カジノホテルの端緒となった。この結果いくつかの類似的施設がこの頃建設されているが、戦時中は大きな動きにはなっていない。ラスベガスを米国におけるリゾートの拠点として著名にしたのは、第二次世界大戦後になり、1947年に、ニューヨークのマフィアのドンであったバクジー・シーゲルが「フラミンゴ」(Flamingo)をオープンし、これが大きな成功を納めたことによる。ハリウッドの著名スターによるエンターテイメントや高規格のサービス、カジノの上客を引き寄せる様々な仕掛けや多様なアメニテイーの存在は人気を博し、40年代末から50年代にかけて、類似的な施設の建設が相次ぎ、ラスベガスに一種のリゾート建築ブームをもたらした。50年代後半のラスベガスは全米随一のエンターテイメント・シテイーとしての原型が出来始めた頃になる。もっともこの間、マフィア組織がカジノ施設へ浸透することになり、結果、その後の規制当局によるマフイア排除に関する締め付けを招くことになった。50年代後半から60年代にかけては一種の転換期でもあったのだろう。1959年には「ラスベガス・コンベンション・センター」が整備され、開業し、観光シーズン外でも集客が可能なコンベンション客やビジネス客の誘致なども都市の顧客誘致戦略の一つともなっている。
1960年代後半は、ラスベガスはホットな町ではあったが、一時の急成長は停滞し、一部施設は凋落すると共に、昔隆盛を誇ったエンターテイナーが再生を図る場所にもなっていた。成長が鈍化し、このころ一部の施設には未だにマフィア組織によるスキミングが存在したという。一方60年代後半はホテル・チェーンのオーナーであったジェイ・サルノが66年に建設した「シーザーズ・パレス」(Caeser’s Palace)が今に連なる最初のテーマ・パーク的メガリゾート・カジノホテルとなった。この頃はカジノの施設所有者は頻繁に所有権を変えていった時代で、伝説的な大金持ちであったハワード・ヒューズによる「デザート・イン」(Desert Inn)の買収も1966年の話である。これを契機に、制度も整備され、1967年以降、企業によるカジノ産業参入が可能となり、マフィアから段階的に企業に所有権が移り、施設の資本調達のあり方も変化を起こしつつあった。
1970年代から1980年代は昔の施設所有者は替わり、施設の名前が変わったりしたが、大きな新しい施設建設は殆どなかった。この間建設された唯一のリゾートは「MGM Grand」(現在のBally’s)のみになる(投資額:1億6千万㌦)。施設整備に必要となる費用が昔の6倍以上となり、組織的な資金調達が要求され、最早マフィアでは太刀打ちできなくなってきた。この結果、大企業やウオールストリートの投資家が、この分野に参入してくることになる。1970年代以降、ネバダ州では更に規制を厳格にし、この結果、70年代末から80年代初期にかけて、カジノ産業は完全にクリーンになったというのが実態である。 これに伴い、企業による支配が80年代以降加速化することになる。
1980年代は20年間途絶えていた大型建設が継続的におこり、現在のストリップ地区の原型が形成される。この嚆矢となったのは、1989年に6億3千万㌦を投資したステイーブ・ウインによる「ミラージュ・ホテル・カジノ」(Mirage Hotel Casino)の建設である(内、5億3千万㌦が直接資本市場からのジャンク・ボンドによる起債ということでも著名な案件となった)。この後続々と巨大なメガ・リゾート建設ラッシュが1990年代から現在にかけて続いている。1990年代は伝統的なラスベガスの旧施設は破棄され、ファミリー志向や、コンベンション客志向が強まり、町全体がバケーション・リゾート・シテイへと変化していった時代である。またこれに伴い、ホテル・リゾートも、施設毎にテーマ性を強く打ち出していくことになる。1990年にはエックス・カリバー(投資額:2億9000万㌦)、93年にはトレジャー・アイランド(Treasire Island投資額:4億3000万㌦)、ルクソール(Luxor投資額:3億7000万㌦)、93年にはMGM Grand (投資額:10億㌦)、96年にはニューヨーク・ニューヨーク(NewYork NewYork 投資額:3億㌦)などである。その後も2000年代を通じ、巨大メガ・リゾートはベネチアン(Venetian 1999年、投資額:15億㌦)、ウイン・リゾート(Wynn Resort 2005年、投資額:27億㌦)、アンコール(Encore 2006年、投資額:23億㌦)など現在に至るまで枚挙に暇が無い。2009年のMGMによるホテル・カジノ・コンドミニアム・ショッピングモール等を複合化したシテイー・センター(City Center)、は総投資額87億㌦に達しており、 投資額は新案件ほど、巨額な金額になりつつある。これら動きの結果、ラスベガスは世界に類の無い、メガカジノ・リゾート、コンベンション施設が集積した観光都市となり、世界中から顧客を集客できる仕組みを成立させた。尚、ラスベガスのストリップ地区を対象とした公開データによると企業のゲーミング収入(カジノ)と非ゲーミング収入(カジノ外の宿泊、飲食、物品販売等)の比率は、1990年には58%(カジノ)・42%(カジノ外)であったが、1998年に逆転し、2011年時点では38%(カジノ)、62%(カジノ外)となっている。これは、支出単価の高い顧客を効率的に集客し、消費のシナジーが生じていることを意味し、カジノ外の収益の伸びはカジノよりも高いという現実になる。