ニュー・ジャージー州はネバダ州が本格的なゲーミング・カジノ法制度を設立(1955年)してから、何と20年以上も経過した1977年になり、米国で二番目に法制度を創出し、ゲーミング・カジノを認めた州である。1970年代後半は、ゲーミング・カジノという業が、ネバダ州を中心として、極めて限定的だが、健全化され、大企業により安定的に成長し始めた時期でもあった。「遊び」や「エンターテイメント」、「施設の集客力やサービスの魅力」等が観光の一要素として、大きな経済効果をもたらすこと、これを支えるホテルや付帯周辺施設等様々な施設群を新たな投資として呼び込む仕組みを考慮することができうれば、地域活性化や疲弊した観光地を再生できると考えた点が、この時代における斬新な政策ともなった。
カジノ・エンターテイメントを政策のツールとして、効果的に用いようというわけである。当時、米国ではネバダ州のみに存在したゲーミング・カジノ制度を、東部の人口密集地区に近い観光地で実現することにより、ゲーミング賭博が保持する潜在的活力を最大限生かそうとする政策目的がニュー・ジャージー州の基本的な公共政策の核にあった考え方になる。
これは下記要素から構成された。
① 明確な政策目的を実現する一つの手法としてゲーミング・カジノを位置づけたこと:
観光、リゾート、コンベンション産業を州にとり、政策的に重要な産業と位置付け、従前は賑わっていたが、魅力と観光客が減少し、疲弊したアトランテイック市のリゾート、観光、コンベンション産業を再生するツールとして、ゲーミング・カジノを認め、ゲーミング産業による投資実現・地域活性化をその手法として採用した。賭博ライセンスを認める条件は、500室以上のホテルを併設する施設を投資し、雇用を増やし、地域を活性化させることとされた。市の魅力を増し、顧客を惹きつける施設とサービスを提供し、都市を再生することがその目的でもあったことになる。また、税収により、同市の既存のコンベンション施設やインフラを再建、再開発し、観光、娯楽、文化施設の新規建設や建替えを助成・奨励することにより、同市を「世界の遊び場」とし、そして米国東部の主要なホスピタリテイー(接客)産業の中心として同市を復興させることにあった。
② 税収の使途を予め明確化し、これにより州民の合意形成を図る手法としたこと:
ゲーミング賭博を認める大きな理由は上記で述べたアトランテイック市に昔の賑わいを呼び戻し、同市を再生させることにあったが、同時に、税収を州民の為に効果的に還元し、州民の同意と信頼を獲得する手段にも用いることも大きな政策の一つとなった。即ち、カジノに課す特別税を目的税化し、高齢者、身体障害者等の弱者への公益目的支出並びに、アトランテイック市を含む地域社会のインフラや公共施設等への地域再生・活性化支出に用いることに限定する政策を基本とした。これは当時としては斬新な政策でもあった。
③ 施行は限定的にこれを認め、全ての関係者に対し、最も厳格な清廉潔癖性に係る基準を満たすことを要求したこと:
安全性、健全性を担保し、公衆の信頼と信用を得るためのあらゆる仕組みを構築することを制度の前提とした規制の在り方が構築され、実践された。カジノの運営及びこれに対する規制に公衆の信用と信頼があり、初めて観光業としてのカジノが存続・維持でき、公益を満たすことができるという考えでもある。このためにカジノ事業の運営にかかるすべての人、場所、慣行、組織、行動、及びすべての関連サービス産業の関係者に対し、厳格な規制を適用することになった。かつ、一定のゾーニングの中で、施設総数を限定する形で規制の効率を上げることを前提とした。不健全、不公正あるいは違法な慣行、手法、活動をもたらす危険性を持つ主体を可能な限り除外又は排除することを保証する仕組みにより、初めて健全性と安全性が担保されるという政策的判断でもあった。
ニュー・ジャージー州の試みは、あらゆる意味で、ネバダ州の経験をもとにしながらも、ネバダ週とは一線を画した制度や規制の枠組みをゼロから構築したことがその特色になる。賭博行為に依存せず、かつ賭博行為を完璧に管理の対象にし、否定的な側面を縮減しながら、その良い所を伸ばし、そのメリットを地域社会で享受するという考えである。ゲーミング・カジノの振興を明確な公共政策の一つとして位置づけ、制度や規制の体系を実現し、実践したこの試みは、一つのベスト・プラクテイスとして、その後様々な国々で模倣され、現在に至っている。