EU条約第49条は、加盟国間における国境を越えたサービスの自由な移動・提供を保証する規定でもあり、現在のEUの根幹を支える最も重要な条項の一つである。国境を跨る通商の自由化や市場の一体化は現代社会の趨勢であり、モノ同様にサービス分野における市場のグローバルな一体化は避けられない趨勢にある。一方同条約第46条は、一国における公益的配慮等特定の事情がある場合には、加盟国がかかる自由なサービス提供に制限を課す考えを例外的に認めている。この例外となる分野が賭博行為である。賭博は本来かかる行為を認めるか否かも含めて、優れて一国の文化、風土、社会における人々の価値観に依存し、一国における公序良俗等の判断も絡み、国毎に異なった事情がある。賭博行為は一国のかかる公益的配慮を理由とし、各国の裁量、専権によりその許諾の可否、制度のあり方が規定され、各国毎にばらばらの制度が存在し、EU法における自由なサービス供給規定の範疇外になると見なされてきた。
この事実が揺らぎ始めたのは、情報技術の発展に伴い、賭博というサービスが簡単に国境を越えてEU域内の諸国民に提供できるような仕組みが生まれ、かつそれが実践され始めたという事象を契機とする。例えばスポーツ・べッテイングやロッテリー、あるいはインターネット・ポーカーは今やインターネットを介して複数言語で、国境を越えた仮想空間で提供されている。クレジット・カードやデビット・カードを用いる手法により、顧客は誰もがどこからでも、また如何なる通貨でも決済ができ、参加できるようになっている。サービスを提供する側にも顧客にも、ここには地理的概念も国境もない。この結果、かかる賭け事を主催する事業者にとって、セールス・アウトレットに対する投資は最早不要で、かかる賭け事のチケットを販売したり、サービスを提供したりすることは、ネットをベースにして何処でも、何時でも,誰にでも提供できることになった。但し、もし一定国において自国領土における販売独占権を保持する主体がいたとしたならば、他国からのネットを介在としたチケットの販売はこの独占権を侵害する。競争が生じると共に、当該国における法令違反、一国の税収の他国への遺漏等多様な問題が噴出する。現実に、欧州では過去を引きずった公的な独占企業体が、一国のロッテリーやスポーツ・ブッキングを独占的に市場で提供している国がまだ数多く存在している。統一市場においてなぜ個別の政府が特定主体によるギャンブルの独占供給を認めているのか、ギャンブルといっても通常のサービスであり、通常の商業的行為となんら変わりはなく、一国において特段の独占を認める必要性はあるのか、これを廃止し、なぜその自由な提供を認めようとしないのか等ということで係争事由になるわけである。
実体経済におけるかかる事象は1990年代を通じ、EU各国において国と個人、国と賭博事業者の間における様々な係争事由をもたらし、これがEU条約第49条の解釈問題へと繋がり、欧州裁判所への提訴へと繋がっていった。この結果、EU内において90年代後半より欧州裁判所の様々な判例も積み重なりつつある。この過程で一定の規範が定着しつつあるようにも見えるのだが事は単純ではない。過去の判例により判旨された内容は、①賭博行為もEU条約の対象となるサービスの一つだが、その特異なる性格より公益に対する配慮を理由として、他国からのサービス提供に規制を設けることができること、即ち、国内法において直接的・間接的に外国からの賭博サービスの提供を規制する国家の権利を認めている。但し、②かかる規制が整合性のある内容で、かつ客観的な方法により賭博行為を制限する目的でなされていること、③この目的を達成する為に必要なこと以上のことをしないこと、④また差別的であってはならないことという条件が存在して、始めてかかる規制は正当化されるとしている。これは、規制する目的である「公益」に関し、あるべき判断基準を設けたことを意味する。
判例は公共秩序を維持するために賭博行為を規制するという一国の権利を原則として認めながらも、賭博行為をよりリベラルなスタンスからとらえることをも含意していると考えられている。これは例えば一国にとっての本来の目的が、消費者保護や公序良俗の保持など賭博行為を抑制することにあるならば、この原則に整合性と一貫性をもたせるべきという考えになる。かかる事情により、国外事業者を排除し、公的主体による独占を保持していながら、実態は、ギャンブル自体が商業化し、抑制的でなく、賭博行為を推奨し、TVや広告等でその消費を商業的に煽り、税収を増大することが一つの政策目的として常態となっているとしたならば、市場を規制し、域内の他国事業者を排除することとの政策的一貫性・整合性はないことになる。ギャンブル施行の目的が単純経済的・商業的理由になっており、その他の本来遵守すべき規範が無視されているからである。この様な場合には、公的主体による独占は排除されるべき考えになってしまうことになる。問題の本質は様々なEU諸国において、賭博行為は優れて商業化し、政府にとっても重要な財源となり、公序良俗の保持等の抑制的側面は、脆弱になりつつあることにある。限りなく通常の商行為に近いとすれば、その供給を規制することは制度上論理矛盾を抱えることを意味してしまう。