フィリッピンにおけるゲーミング・カジノは非合法な状態から始まったのがその始まりである。1938年には既に米国人がマニラ中心地区にカジノ施設を(特段の許可もないままに)私的に開設したといわれている。制度的には認知されていないこのような非合法カジノは、1970年代頃まで継続していた。当時のマルコス大統領は、1977年大統領令第1067-B号により、カジノを国が管理し、その収益も国が取得することを前提に、大統領府傘下の国営会社「フィリッピン・アミューズメント・ゲーミング会社」(Pagcor社、 Philippine Amusement and Gaming Corp)を設立、これに独占権を与え、運営を委ねることで、非合法カジノを一掃した。1983年、大統領令第PD-1869号により上記が改定され (後刻これはPagcor憲章と呼ばれた)、これに伴い、Pagcor社は、①国内の全てのゲーミング賭博を規制し、かつ運営すること(規制者であり、かつ自らが独占権を保持する運営者となることを意味する)、②その収益から政府のインフラ、社会文化活動への財源を拠出する義務があること、③観光振興へ貢献することという役割を担うことになった。また全てのカジノ及び類似行為は政府の独占行為となり、政府にとっての重要な税源ともなった(同国ではPagcor社は、大蔵省に次ぎ国内二番目の歳入貢献者になる。かかる事情により、過去から現在に至るまで、同社は極めて政治的に利用されやすい体質を持っている)。尚、施設としては外国人、内国人を差別しておらず、顧客の過半は内国人(フィリッピン人)である。また、フィリッピンでは21歳以下の顧客は賭博行為に参加することはできない。
この様に、フィリッピンの状況は、Pagcor社は規制者であるとともに、自らが運営者でもあり、かつ自らが担う運営行為をも自らの判断により第三者に委託できるという複数の機能を全て担うことができるという他国には全く例のない制度と仕組みになっている。2011年現在、直営施設として13のカジノ施設、25のクラブ施設を経営し、経済特区においても、第三者となる6事業者に対し運営ライセンスを付与している。これらに加え、カードルーム・ライセンスを36社に付与しており、自ら4つのスロット・アーケード施設やオンラインのカジノ・サイトを運営している。一方、Pagcor社は顧客に対し信用貸しはできない。また同社の収益の75%は人口が集積するマニラにあるカジノ施設からのものである。
2008年に従来のPagcor社が保持していた憲章が失効したが、同社は新たに議会から25年の独占権を付与され、これはその後更に25年間更新可能となった。新たな枠組みは、同様にPagcor社のみがカジノを運営し、規制できるとある。許諾の在り方は様々な手法が採用されている。クラーク基地、スービック基地のように経済特区で許諾するビンゴ・パーラーは、民間の事業者に対し、Pagcor社が施行権(Authority)を付与し、民に委託する(ライセンスではなく施行権という。法律上ライセンスは直接付与できないため、Pagcor社が持つ権利を代位するという意味になる)。スロットマシーン・アーケードにはリース方式が採用されている。これはPagcor社とのリースアレンジに基づき、民間主体がスロットマシーン・クラブを運営していることになる(施設、投資を民が担い、アーケードを管理運営するためにPagcor社を雇用し、両者で収益を分担する)。
2000年時点でのPagcor社の総収益は$3.5億米㌦で、2001年は$4.06億米㌦、2007年は$6.45億米㌦、2008年には$7.16億米㌦と順調に発展している。2012年における政府に対するPagcor社の税支払は$1.25億米国㌦相当額になる(内訳は同社による企業所得税が$26.3 M、ゲーミング運営事業者からのフランチャイズ税が$33.6M、ライセンス関連税収が$57 M、源泉徴収税が$19.1Mとなる)。Pagcor社は純収入の5%を、フランチャイズ税として内国歳入庁へ納付し、残95%の50%を政府収益分担分として大蔵省に納付する。上記控除後の5%は、フィリッピン・スポーツ委員会に支給し、国のスポーツ振興プログラム支援に充当する。また、純収入の1%は司法省傘下のBoard of Claimsに(誤審の被害者救済資金に充当)拠出され、その他Pagcor社カジノをホストする市町村に一定率の地域社会開発プログラム拠出金が拠出される。残額は、政府の優先的なプロジェクトへ充当するため大統領社会基金に送金され、様々な大統領政令に基づき寄付や特別目的の為の支援、拠出等に政治的に用いられている。