20世紀最大の技術の進歩はコンピューターであり、かつこれが通信技術と合体し、巨大なサイバー空間における自由な情報のやり取りを可能にしたことであろう。コンピューターを利用したゲームやアミューズメントの技術的発展は、個人の世界に簡易な手法で遊びやゲームをもたらすことを可能にした。これが金銭を賭すスロット・マシーンやビデオ・マシーン等にも類似的な影響と技術の進展をもたらし、アミューズメントとコンピューター・ゲーム並びにギャンブルは限りなく類似的なものになってきたことが現代社会の特徴でもある。インターネットやウエッブ技術の進展は更にこれを加速化させた。これにより、①賭博行為が優れて個人化し、個人が自宅から、あるいはいつ如何なる場所からでも端末コンピューターやモバイル端末から賭博に参加できるようになったこと、②賭博行為へのアクセスと利便性が格段に向上し、手軽にできるようになったこと、③技術の進展により、個人が双方向的に情報をやり取りする形でゲームができるようになったこと、④顧客の本人確認が十分できない場合には、未成年すらも、ネットを通じて賭博行為にアクセスできる状況をもたらしたことなどの事象が生じたわけである。
ネット技術の発展は、個人情報をやり取りするセキュリテイー・システムとこれを利用したクレジット・カード決済や電子マネーの仕組みの開発により、ネットを通じて安全、安心な形で対価を支払い、商品やサービスの提供を受けることを可能にした。またブロード・バンドの発展は、臨場感の高い双方向的な画像のやり取りをシームレスに展開することを可能としている。これら技術を活用して、コンピューター・ゲームから始まった、遊びとコンピューターの融合は、賭博行為を一つのサービスとして提供する産業を必然的に生み出すことになった。これがインターネット・カジノと呼称される産業になる。米国GAO(連邦会計検査院)の報告書によると、1990年中庸以降の時点で、米国外から米国向けに約18,000の賭博を提供するウエッブ・サイトが存在し、2003年当時での米国民の消費額は年推定27億㌦でもあった。これが年々増え、2008年では年39億㌦規模にまで達したといわれている。一方この時点で、EUでは既に市場規模は75億㌦に達したという数字があるが正しいか否かは不明である。世界レベルでのネット賭博の市場は正確な統計データはないが、2008年レベルでは173億㌦になったという市場調査も存在し、(コンサルタントであるH2 Gambling Capitalによる推計では2008年に既に210億米㌦という数値もある) 米国ゲーミング協会は2011年レベルで世界での市場規模を300億米㌦に達したと想定している。市場を正確に捕捉できる手法は存在せず、いずれもデータの正確性という点では課題はあるが、市場は年々成長しており、巨大化しつつあることは事実であろう。
かかるビジネス・モデルとしてのインターネット賭博の特徴は下記にある。
① 事業としての柔軟性:
事業者にとり投資費用は極めて安価になる。サーバー、ソフトウエア等の通信システムや課金システム等が必要となるが、投資費用は限定される。また地球上の任意の地点からサーバー経由流せるために、運営費や税が安い国を選び、そこからサイバー世界に発信できる(顧客市場の存在が、施設立地の要件にならないことになる。サイバー空間では、何処から情報を発信しようが、顧客から見れば殆ど関係ない)。
② 効率の良い、グローバルなビジネス:
単一の主体が、不特定多数の顧客を、地球全体を一つの市場として賭博サービスを24時間提供できる。かつマルチ言語で如何なる言葉にも対応できる(地理的障害や言語的障害が無く、全世界を一つの市場として、24時間営業できることになり、極めて効率の良いビジネスになる)。ここには、既に国境の概念はなく、グローバル化、市場の一体化がサイバー世界では既に実現している。
③ 国籍や顔が見えにくい提供主体:
顧客の立場から見た場合、ゲームを提供する主体の顔は限りなく見えなくなる(提供主体の匿名性、情報の非対称性より、悪や不正が横行するリスクは常にある)。信用を補完する為に、ネット賭博を許諾する国のライセンスを取得し、営業することが主流になっているが、その厳格度や費用は地域、国によっても千差万別である。
④ ルールや規範の無いサイバー世界:
事業者としては世界中の顧客をサイバー世界の顧客として取り込むことができるが、一国の国内法でかかるネット賭博を禁止している場合、当該国の顧客がネット賭博に参加することはその国の法律違反となってしまう。この場合、顧客にとっても潜在的リスクがあると共に、ゲームの提供者も制度的なリスクを抱えるというグレーな市場領域が生まれてしまう。但し、これを律する国際的なルールや規範は現在の世界には存在しない。
ネット賭博は既に現実の世界に存在し、かつ市場として急成長しつつある産業でもあるのだが、制度的には曖昧さを残したまま、現実が先行し、市場に存在している。これも技術の進展に制度の枠組みが追い付いていけないという一つの事例なのであろう。