特別立法措置により公営賭博の違法性が阻却されている理由とは、その施行自体が結果的に社会にとっての「公益」をもたらすと判断されているからである。この場合の公益とは、施行に伴う収益が公的部門にとっての新たな財源となり、かかる財源を公目的のために支弁することにあるとされている。また、これを公的主体のみが担うのは、賭博行為がもたらす否定的な要素をこれで遮断でき、収益を独占することにより、公益の実現を確実にできるという判断によるものであろう。最も公営賭博法における施行目的は、例えば競輪における「自転車振興」のように、最早明らかに時代に合わないものも存在し、公益性のある支出項目をその後都度法改正により増やしたり、幅広い解釈により資金の公的な使途を拡大したりして対応してきたことが実態でもあった。この意味では、法目的と財源の関係は、完璧に一対一ではなく、時代の要請に応じて変化してきたとも言える。
諸外国においても、賭博施行の目的として、新たな財源の創出、これら財源の公目的への支出を位置づけている国は多い。賭博行為は本来好ましくは無いが、公共にとってのメリットを最優先し、税収増のために制限的にこれを認めるという考え方になる。もっとも、最近ではこのように、単一、単純な政策目的ではなく、複合的な目的が賭博施行の政策目的になりつつある。カジノの政策目的はこの典型的な事例になる。例えば、①上記にある税収増、新たな財源確保と共に、②雇用増、③地域振興・地域再生、④観光振興、⑤産業としてのエンターテイメント産業の育成と保護などが施行目的となると共に、⑤これに伴い生じる社会的な危害を縮減すること等も目的の一つとされている事例等も多い。特に統合型リゾートや、複合開発的な側面を含むリゾート開発がカジノ賭博の施行とオーバーラップする考えの場合には、複数の並列された政策目的がその法目的になることが通例でもある。もっとも、我が国では、複数の目的が並立する構造は、論理的一貫性を保持しにくくなると見られる嫌いがあるが、基本的にはこれは立法政策の問題でもあろう。一方、公的主体が独占的に関与することのみが、公益を確実にし、安全性を担保するという考えは必ずしも一般的ではない。逆に、カジノの運営行為を民に委ねても規制や規律を厳格に措置し、法の執行を厳格に担うことにより、同等の効果は得られ、公目的は達成できると考え、これを実践することが世界の通例でもある。
法目的が重要なのは、それがなぜかかる行為を認めるのかという法的な根拠になると共に、法目的が決まれば、自動的にその法を所管する主務官庁も決まってしまうという仕組みが我が国では伝統的にとられてきたからである。また、これに伴い、益金の使途も制度的には大きな枠組みが決まると共に、規制や管理などの仕組みや組織等も当該主務官庁の影響下で構成されてしまうという結果になることが通常の我が国における行政の仕組みでもあった。これら全体の仕組みをどう構築するのかを考慮しながら、法目的を定義しなければ、全体の構図が描けないわけである。もっとも、法目的と主務官庁と益金の使途とをリンクさせ、賭博収益を特定の省利省益へと誘導する旧態依然としたアプローチは、最早現代社会においては、国民の支持を得られるわけがない。天下りのための益金配分の組織を設けたり、官僚組織の裁量により付与される第二の補助金を設けたりすること等、好ましくない慣行が必ず蔓延るからである。益金の使途は、明確に法で定め、法目的となる政策を担う官僚組織に使途の判断を委ねず、より透明な手順や判断基準により、中立的な第三者がこれを判断する手法を採用したり、官僚の裁量性が入らない国民が納得する公的使途に用いたりすべきであろう。
では、我が国におけるカジノ実現の法目的はどうあるべきであろうか。法目的の定義は、立法政策上の重要な選択肢になる。現状における与野党の統一した考えは、日本版「統合型リゾート(特定複合観光施設)」の実現でもあり、これに伴い、内外の顧客を対象とする観光振興を軸とした地域振興・地域再開発、特定目的のための財源確保、地域社会における雇用増等という複合目的になるのであろう。この場合、誰もが納得するキーワードは明らかに、「観光振興」、「地域振興」、「地域活性化」、「税収増」、「雇用増」である。これら複数の政策目的を並列的に列挙し、その実現を図るという考え方は、諸外国にも存在し、おかしな考え方ではない。施行に伴う政策目的が複数に跨り、その遂行を担う主体も複数官庁に跨りうる場合には、これら省庁を共管とするか、上位の官庁である内閣府がこれを担うしか方法は無い。政策目的と政策を担う主務官庁を単一にして考えることは、解りやすいが、逆にこれでは複雑となる政策目的を効果的に達成できなくなってしまう可能性も高い。この場合、複数の省庁を共管とさせることがより合理的な解決策となる。尚、益金の使途をどうするかは、全くの政治判断となり、今後の議論の対象となるのであろうが、上記の通り、政策目的と主務官庁の在り方は単純に直結しないアプローチがより適切考え方となろう。