新しいカジノ賭博の制度設計をする際に、まず、最初に判断せざるを得ないのは、誰が施行者になるべきかという課題である。この場合の誰がとは、国か、地方公共団体か、あるいは財団や公社・公団等の公的組織か、または認可・免許を得た民間事業者かという選択肢になる。諸外国においては多くの場合、カジノ賭博は、民設民営を基本とし、民間事業者に対し、認可や免許(ライセンス)を与え、施行者とし、厳格にこれをコントロールすることにより賭博サービスを提供するという考え方が実践されてきた。この考え方を我が国でも単純にそっくりそのまま導入すればいいではないかという主張もあるが、現実的には左程単純ではない。わが国では、過去、賭博行為は、あくまでも「公営賭博」としてしか認められておらず、公的主体が自らこれを主催し、厳格にその施行を管理し、施行収益を公的部門が独占することが違法性を阻却できる主たる理由であったという経緯があり、その他の考え方は、想定しにくい、また前例も無いという事情があるからである。一方、逆に、諸外国では、カジノ賭博は民設民営が基本となるために、公営カジノという考えは想定できにくい状況にある。
上記は、単純化すると官が施行者となり施行すべきか、あるいは民が施行者となり施行すべきか、という基本的選択肢があることを意味する。理論的にはあらゆる手法が可能であるとはいえ、各々に一長一短があると共に、如何なる選択肢を取るかにより、制度の考え方や枠組みは大きく異なってしまう。
一般論としては以下の如き状況になる。
① 公的主体が施行者となる選択肢:
公的部門自体がカジノ賭博施設の所有、経営、運営を担う場合には、制度や規制の内容は簡素化できる。但し、施設に関する投資やサービスの質はおざなりになる場合が多い。目的が売り上げ増に基づく税収確保である以上、対顧客満足度向上や、サービスレベルの向上はどうしても二義的になると共に、そもそも公的部門はかかるサービス提供や営利行為には慣れていない。また、公的部門が主催者である場合、大規模な商業施設投資はありえないし、かつ集客施設としての魅力を発揮できる施設となるか否か、国際的標準となるサービスを提供できるかについては、大きな懸念が残る。但し、公的部門が自らカジノの経営を担う場合には、公共にとっての収益は最大化でき、超過利潤も全て公共が独占できる。但し、国と地方公共団体の関係をどう整理し、収益の配分をどう規定するかの選択肢も考慮する必要がある。
公的部門自らが、賭博行為を主催することは、国民に対し、賭博行為を推奨し、賭博行為をさせることが行政の目的になってしまうことを意味する。公的部門自らがかかる行為をすることが倫理的に適切か否かという議論がある。また、理論的には賭博行為に伴うリスクは存在し、公的部門が財政負担を担い、かかる行為に関与すべきではないという強い論拠もある(胴元に賭け事のリスクの無い単純なパリ・ミュチュエル賭博は公的部門が担うこともできようが、胴元に賭け毎のリスクのあるカジノ賭博の場合には、本来的に公が法律上の施行者となることは適切ではないとする考えになる)。
② 民間事業者が施行者となる選択肢:
民設民営で、民間事業者にカジノ賭博施設の所有、経営、運営を委ねる場合には、政策的に供給を制限したり、不正や悪を排除し、健全なゲームを提供させる制度的環境を構築したりすることが全ての前提になり、認可や規制・監視の枠組みは、遥かに厳格になる。この結果、制度や法のあり方も確実に複雑化する。この意味では例え民設民営であっても、自由な設置、運営ができることはありえず、経営・運営の全般に亘り、全てが公による管理・規制の対象になることが通例である。
一方、民による施行は、仕組み次第では、カジノを含む巨額の商業施設群に対する投資を可能にすると共に、集客のシナジーをもたらし、顧客にとってのサービス向上や、集客施設としての本来の目的を効果的に発揮することに繋がりやすい。
③ 間的な選択肢:
民間運営と両極端に走ることなく、その中間にも様々な考えが存在する。例えば、極めて厳格、かつ強い公共管理の下に、施設数、あり方を限定しつつ、制度的な施設の運営権や経営権は、公的部門が保持し、法律上の施行者となりつつも、施設の開発・必要な投融資・運営は包括的に契約により民に委ね、収益・費用・リスクを官民で分担しあうなどという考え方である。
一見合理的だがこの考えは、関連する公的主体の立ち位置を限りなく曖昧にしてしまう(管理者として運営を監視し、管理する立場にあるのか、事業者側に立ち賭博を推奨し、売上を増やす立場にあるのかが不明瞭になる)と共に、利害関係者の関係をかなり複雑化することになる。投資義務、施設の所有、収益の帰属、減価償却の在り方等がバラバラになる可能性があるからである。