犯罪には、その性質上複数の人が関与しなければ、成立しえないものがある。例えば、賄賂罪は、賄賂を贈る側と受け取る側の両方が存在しなければ成立せず、この様な場合を必要的共犯という。賭博罪も、賭博を提供する者と賭博に参加する者が両方いて、初めて成立する。はじめから複数の行為者を予定して定められている犯罪のことをいうわけである。我が国の刑法は、犯罪を原則として単独で行われる場合を想定して規定している。従い、複数の人間が関与して犯罪が実行された場合には基本的な犯罪の形態(単独)に共犯規定を加えて適用し、その処罰を決定するということになる。賄賂の場合、刑法上の条文では贈賄・収賄の双方に処罰が規定されている。賭博罪も類似的で、賭博を開帳することと、参加することの両方に処罰が規定されている。
この様に、賭博罪は必要的共犯と考えられる以上、相手方のいない賭博行為というものは、制度上観念されていない。これは、賭博行為を提供する者と賭博に参加する者がセットで存在して、違法とされる犯罪になることを意味している。勿論我が国の刑法は明治30年に制定されたもので、戦後に至っても、この部分はそのころから基本的に変化はなく、明治時代の規範をベースにしているともいえる。法律は、賭博行為とは、リアルな世界で人間対人間がおりなす行為を前提としていることになる。コンピューター、インターネット等が存在しなかった頃の法規範でもあり、リアルではないサイバー世界から、見えない場所、外国からネットを通じて賭博行為や賭博関連サービスを提供することなど全く観念されておらず、想定の範囲を超えている。形態はどうあれ、金銭を賭す行為をする以上、法律的には明らかに違法行為であることは間違いない。但し、かかる行為が犯罪を構成できるか否か、現行法の規定の枠組みの中で摘発できるのか否かは全く別の次元の話になってしまう。現実は制度以上の複雑な様相を示しており、昔の制度だけでは、現実を理解できなくなってしまっていることになる。
例えば下記のごとき事情も存在する。
① ほぼ全ての場合において、インターネット・カジノを提供している事業者は、海外に位置し、海外のサーバーから日本語で、日本の顧客に対し、クレジット・カードを主たる決済手段として賭博行為を提供するパターンを取る。当該外国事業者が当該国で認証を受けたまともな事業者か否かは別にして、外国の主体が、外国からサービスを提供していることになり、これでは我が国の刑法の適用を受けることはない(国外犯非処罰規定)。
② 上記の相手方として日本人の顧客が、ネットを通じて賭博行為に参加した場合は、必要的共犯の一方の相手方が不処罰となる場合を意味し、この場合の日本人の顧客の扱いがどうなるかにつき言及した文献はない。犯罪の立件も判例も無い。違法ではあるが、そもそも犯罪を構成できないと考える意見もある(海外からのネットを通じたいかさまや詐欺等は現存するのかもしれないが、被害者が訴えても、現行法の枠組みで何等かの措置を取ることは極度に難しい。最も被害は受けてはいても、違法行為に参加した後ろめたさから、誰も被害届を出していないのかもしれない。こうなると実態はますます解らなくなる)。
③ かかる場合は、そもそも、犯罪としての摘発が物理的、技術的に難しいと判断すべきであろう。国内にサーバーを設置し、国内の顧客に類似的サービスを提供すれば、明らかにこれは犯罪として成立する。一方、個人としての国民が、ネットにアクセスし、かつ自己の責任と費用でサイバー世界におけるネット賭博に参加しても、これを技術的に管理したり、規制したり、取り締まることは、不可能に近い。但し、もし、我が国の顧客が、不正な行為やいかさまにあったとしても、片方の当事者がサイバー世界におり、外国にいる場合には、これでは一切救済の手段も無いことになる。
④ 賭博罪の実行行為の認定もどう把握すべきかについての議論もある。我が国で行われる具体的行為はキーボードをたたくだけで、偶然の勝敗に関し、金品を賭ける行為は国外のサーバーが提供しているとすれば国外犯ではないのかとする考え方もある模様だ。金品を賭ける約束があれば実行行為なのだろうが、キーボードの操作と画面において何をもって約束があったとするのかに関してはかかる行為が処罰された前例がないために解からないというのが実態である。
尚、国内と海外を巡る国境を越えた犯罪の取り扱いは、日本だけの問題ではなく、世界各国いずれも基本は同じである。一国の国境を越えてかかる行為を取り締まったり、規制したりする枠組みは世界には存在しない。