賭博の施行に直接的ないしは間接的に関与する民間主体は、個人・法人を問わず厳格にその参入が規制されることがカジノ賭博法制の基本である。施行者の場合、その対象は法人としての企業そのものと共に、5%以上の有効議決株式を保持する主要株主、経営者、主要管理職、デイーラーや金銭出納係、監視・警備職員等基本的には、企業の意思決定に影響を与えると想定される主要株主や、賭博行為に直接的、間接的に関わりうる全ての職員が免許・認可の対象となる(これらに組織暴力団や、悪に染まりやすい主体が入った場合、カジノの健全性を担保することはできなくなるからである。また施行を担う法人は、当該法人を実行支配できる主体、ないしは当該法人に重要な経済的インタレストを保持する主体全てが審査の対象になる。例えば、名目的なSPC(特定目的会社)が免許申請者・施行者である場合、実態のある親会社が連帯して申請する要件が課され、審査の対象になる。表面的な申請主体ではなく、実行支配をしている主体を精査しない限り、規制が甘くなるからである)。同様に、カジノ施設に機材や器具、システムを提供している個人・法人、何らかのサービスを提供している個人・法人等も基本的には全て免許・認可の対象になるが、この場合には、当該企業そのものと主要経営者等が対象となるのであろう。免許・認可の対象は、あくまでもリスク・ベースでの考え方に立ち、不正やいかさまに関与しうる余地があり、リスクが高いとみなされる立場や職位にいる主体全てを対象とする。また既に免許や認可を取得している主体であっても、不断の審査・監査の対象となり、免許や認可を付与した前提条件が保持されているか否かがチェックされる。
上記を効果的に実現する為に、法律上欠格要件を規定する。欠格要件とは、参入する資格がないという判断基準となり、例えば、犯罪歴のある者、組織暴力団と直接的・間接的な繋がりが過去あった者、また現在もある者、施行にリスクをもたらしうる可能性が高い者等になる。犯罪歴があった場合、例え既に刑期を終え、更生していても、悪や不正に染まる可能性はより高いわけで、他者と平等扱いし、その参入を認めることはおかしな考え方になる。賭博運営の業に参加できることは、権利ではない。不正や違法行為を担うリスクがあると規制当局が一方的に判断した場合、公益と秩序を保持する観点からこれら主体の参入を規制することは合理的な考えでもあろう。参入主体を規制し、排除する類似的な法律の場合には、客観的に欠格要件を規定するのみで、参入要件を規定する。一方、カジノ賭博の場合には、これでは十分であるとは言い難い。欧米諸国の場合には、上記客観的な欠格要件に加えて、若干主観的にはなるが、一種の適格要件を別途定めて、これを満たすべき参入の条件としているところが過半である。この適格要件とは、例えば、①当該主体の清廉潔癖性、②社会的名声と地位、③財政的資力や資質等の考えになる。欠格要件に該当しなくとも、規制当局の判断により不適切となる場合を認めるのは、欠格要件だけでは、法の抜け穴的に、本来参入すべきではない主体が参入してしまうことを防ぐためでもある。例え僅かでもリスクがありうると考えられる主体はこの業に参入させるべきではないとする考えに近い。
わが国では、個人による特定の業種への就業を規制当局が一方的に規制したり、禁止したりすることは、憲法上の職業選択の自由を侵害しうるのではないかとする議論があるが、適切な考えとはいえない。賭博の業に参加することは、本来自由な「権利」ではなく、一定の法律上の判断基準を満たすことにより初めて可能となる一種の「特権」と見なされるべきであろう。公共の安全、秩序を維持することが優先される以上、リスクを限りなく避けるという意味では制限的でしかるべきとなる。リスクが残る可能性を制度として認めるべきではない。
尚、当然のことながら、この免許・認可は、それを受ける主体にとっても単純な「権利」とはならない。制度上、違法行為や脱法行為等不適切な行為があった場合には、規制機関の一方的判断により、免許の取り消し、停止などができる(勿論その場合、取り消しを受けた主体は、一般法に基づき行政訴訟により不服・取り消しを申し立てることはできる)。よって、この免許を第三者に譲渡することはできないと共に、担保等の対象とすることもできない。又、事業を担う主体に対する一つの免許は、一つの主体、一つの施設のみに限定して付与されるべきとなる。さもなければ、一つの事業者の事業者がサブ・ライセンスやリスク・シェアリング等の手法を駆使して、実質的には認可の対象となっていない第三者が、運営に参入しかねないからである。これでは何のための免許かわからなくなってしまう。規制の枠組みが甘くなるかかる裁量権を事業者に付与すべきではない。この意味ではカジノの施行に関する免許とは極めて制限的なものでしかないことになる。