台湾でのカジノ構想は馬総統が政権を取る際の公約の一つでもあり、政権奪取後の2009年に既存のオフショア群島開発法を改正し、離島に限ってのみ、当該自治体が、別途住民直接投票法の規定に基づき、住民の過半数の同意を得た場合、カジノを含むリゾート施設を誘致することができるという規定を追加したことがその嚆矢となった。もとより、オフショア群島開発法という法律のみでカジノが認められるわけではなく、別途カジノの施行に関する法律を制定することが条件となっており、(偶然だが、我が国と同様に)二段階での立法手順を採用したことになる。離島のみとしたのは、台湾本土で実施することに対し、根強い反対が存在したことと共に、観光振興の名目の下に、より摩擦の少ない離島に観光カジノリゾートを設置し、中国本土の観光旅客を呼び込むことでも、政策目的を達成できるという期待感があったからである。マカオやシンガポールの成功に触発されたという事情もあったが、台湾本土からは交通の便が良いとは到底思えない離島、かつ中国本土の方が余程至近になるという事情から、中国本土からの観光客・遊興客を主顧客にするという戦略があったのだろう。これは、そもそも中台の良好な政治的関係と交流が継続して初めて可能になるストーリーでもあったのだが、当初より、中国本土からの来訪観光客に過度に依存するビジネスモデルの危険性を指摘する識者も多かった。政治的状況次第では、中国政府は自国民の旅行を制限することなどいとも簡単に実施するからである(これは日中間の尖閣問題に伴う中国人旅行者による来日激減の事例を見ても理解できる)。
2009年の澎湖島における住民投票は、反対派の主張が通り、否決されてしまった。2012年の馬祖島における住民投票により、初めて可決され、これを受けて行政院も賭博法制の詳細を詰める体制に入り、2013年に行政院から立法院に法案が提示され、2013年中には立法院にて可決される見込みでもあった。あったとしたのは、制度的枠組みが実現しそうな段階で、一挙に制度に対する懸念と不協和音が生じ、状況がどうなるのか見えにくくなってきたからである。これは、馬祖島の対面にある福建省政府が(当然中国政府の意向を受けての話であろうが)、省内の住民が安易な方法で国境を越え、台湾を訪問し、賭博行為で人民元を消費することに対し、明示的な反発と反対の態度を取り始めたことが明らかになったことによる。中国本土の方がより距離的には近い馬祖島におけるカジノリゾートは、当然中国本土から大量の顧客を集客しなければ、まずビジネスとしては成立しない。台湾本島からはあまりにも遠すぎる離島の弱みがここにある。台湾はマカオではない。マカオは中国の特別行政区でもあり、中国本土からマカオへの訪問は、制約はあるが、基本的には国内でしかすぎず、訪問対象が台湾になると、そう単純、あからさまに賭博行為のためだけの訪台は認めるわけにはいかないという中国政府の意思表示でもあるのだろう。この結果台湾の主務大臣になる行政院運輸部大臣は、この10月に、離島振興法ではなく、現在の桃園国際空港がある地点での再開発を目的とした特別区域法を改正することにより、ここにカジノリゾートを設けてはどうかという爆弾発言が出る状態に至っている。確かに、カジノの施行の詳細を取り決める法律がようやく成立しつつあるのに、地点・区域を指定するはずの法律の実効性が問われてしまったわけで、これでは全てが絵に描いた餅になりかねないからである。勿論カジノの施行を実現する法律は成立し、馬祖島におけるリゾート施設は施設としてはできるかもしれないが、顧客が来ない施設に巨額の投資を惹きつけられるのか否か、既に暗雲が立ち込めているというのが現実であろう。
では、行政院トップによる表明で単純に政策転換が実現できるのであろうか。2009年における離島振興法の改定時点での台湾におけるNPOや宗教団体等による激しく、根強い反対運動を想起する場合、そう単純に台湾本土におけるカジノリゾートが認められることにはなるまいとするのが大方の判断になる模様だ。この為には再度法律改正が必要になる。大きな反対運動も再燃しかねない。台湾の民意はこの政策転換を支えるか否かが真のポイントなのであろう。
台湾のこの騒動は、インバウンド観光客の在り方は、優れて政治の動きに敏感に反応すること、かつ、あまりにもインバウンドの観光旅客に依存しすぎるビジネスモデルの場合、何等かの要因により、この流れが止まってしまうと、事業そのものが成立しなくなるという現実を示唆している。台湾の離島は、確かに風光明媚な自然資源を保持しており、中国本土からの利便性は高いが、逆に台湾本島からはかなり遠く、利便性は大きく劣後してしまう。この前提で、中国本土から賭博を目的に顧客を誘致すること自体が政治的に不協和音を立てたとしたならば、離島カジノが実現することはまず有りえないと判断すべきであろう。同様に、台湾本島で新たな制度的枠組みを再度議論し、本島における区域指定のための新たな制度的枠組みを創ることも、国内的な理由から明らかに単純ではない。本来、やはり健全なモデルとして、当初から台湾本土に立地し、台湾人による自由なアクセスも認めつつ、外国人旅客をも誘致するという考えが好ましかったのだが、台湾国民が安易な形で賭博施設へのアクセスを保持することに対する強力な反対があったために、妥協としての離島振興に落ち着いたというのが実態である。この方針を大きく転換させる政治力と力量が現政権にあるかに関しては、議論が分かれる所だ。すごろくの振出しに戻ってしまったのではないかというのが現実となるのであろうか。