我が国の刑法第185~187条は賭博行為を施行し、他人に提供することも、顧客としてかかる行為に参加することも刑罰の対象になることを規定している。もっとも刑法第35条に規定された正当行為となる場合、違法性が阻却され、罪にはならないと共に第185条の但し書きにより、常軌を逸脱しない賭博行為を私的になす場合は、例外として罪に問われることはない。よって、別途法令上認められている公営競技や宝くじ、Totoなどの公営賭博は合法となるが、類似的な行為を私的に、かつ組織的に行う闇賭博の類は、これを担うことも、参加することも、明らかに違法行為となる。もっとも一時的な遊興としての私的な賭博行為、例えば麻雀やゴルフ等では賭け事が日常的に行われており、これらが問題にされることは通常ありえない。この様に、何が違法で、何が合法なのかは、一般的には解かりにくいが、法が認めれば合法で、それ以外は違法という単純な整理になるのであろう。かつ常軌を逸しない一時的な遊興の場合には例外的扱いになる。但し、この「常軌を逸脱しない」という明確な判断基準等は存在しない。
本来、賭博行為自体は、優れて個人の責任による個人の営みにすぎず、個人がその所得の一部を本人の意思により、単純な遊興や時間的消費の為に支出しているとするならば、果たしてこれが本当に刑罰の対象になるのかという根源的な疑問を指摘する声もある。他人の権利を侵害したわけでもなく、かつ他人に迷惑をかけたわけでもない。個人が所有する自己の資金を、個人の責任で、優れて個人的に支出しただけにすぎないではないかという主張である。この主張に一理はある。違法と合法の線引きは、所詮、立法政策の問題でもあり、時の政権や為政者の意思次第で合法になったり、違法になったりすることもある。また為政者の意思とは、時代や社会の風潮、倫理観、政策を支える国民の民意次第では大きく変わることもある。この意味では賭博行為を認めるか否かは、一国の社会的な規範でもあるのだが、常に一定であることはあり得ず、本来変わりうるものであることを理解する必要があろう。
ところで、一定の行為が刑法上の罪となるためには、何らかの保護されるべき利益があることが前提になる。これを法益という。賭博罪の場合には、社会的利益になり、賭博行為を禁止することにより社会的利益を守ることができるという論理になる。では、この社会的利益とは何か。基本的には、公序良俗の保持や社会秩序の維持ということになる。例えば、放置した場合、公共秩序の安定に支障をきたし、国民の勤労精神を損ね、青少年にも好ましくない影響を与える等という理屈でもあろう。イメージとしてはやくざや組織悪が賭博行為に絡み、暴力や犯罪の直接的・間接的誘因や原因となったり、一攫千金狙いで金を使い果たしたりして、働く気力を無くし、国民の精神が阻害され、かつこれが青少年にも悪影響を与えかねないという誠におどろおどろしい理屈になってしまう。判例では、「国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害する」などとしている(最大判昭24.11.22)。かかる法理が通った時代も過去にはあったのであろう。では、現代社会において、本当にこれが適切な保護法益の在り方といえるかどうかは検討の余地がある。勤労・貯蓄は善、遊び・消費は悪といった所で、若い世代はかかる倫理観を全く支持しない。あまりにも現実からかけ離れた旧態依然とした一昔前の倫理観でしかない。またかかる倫理観を唯一無二の規範として、国民に押し付けるのも最早適切な政策ではないし、現実的とはいえまい。特定の倫理観を国が国民に強要する考えは既に過去のもので、あきらかに時代錯誤となる。余暇や遊興を楽しむことも国民にとっての自由な、かつ重要な選択肢の一つになるからである。
一方、かかる遊興を自由に認めた場合、これを悪用しうる主体が社会的秩序を乱すリスクを未然に防止する必要があると共に、未成年者等の弱者や賭博依存症を呈する社会的弱者を救済する必要もある。これら潜在的諸問題に適切に対処することは、現代社会においても有効、かつ必要となる政策であり、かつ保護されるべき社会的利益ということになる。賭博制度におけるこの側面の制度や規制の仕組みは昔と比較すると、逆により精緻になりつつある。賭博行為を認めつつ、これがもたらす社会的に否定的な側面を規制したり、抑止したりすることが、社会全体の安心、安全をもたらすことになるということでもあろう。保護法益としての社会的利益は、一定の有効な側面も現存するが、一部の伝統的な考え方の側面は最早現実的ではないということに尽きる。かかる事情により、わが国の上記判例で示された賭博罪を巡る保護法益の一部の考え方は、現代社会では再考されるべきでもある。
時代の変遷とともに、国民の価値観も変わるし、何が善で何が悪なのか、何をなすべきなのかという社会的価値観も変わる。これに伴い立法政策も制度の在り方も変わることがある。賭博法制でもしかりであり、我が国の現在の制度や規制の在り方が、本当に適切といえるのか、このままで良いのか、どうあるべきかに関しては大いに議論の余地はある。