制度により認知された賭博行為は成人が自己責任で行う遊興の一つでもあり、あくまでも遊びとして、適度にこれに参加すること自体は何ら咎められる行為とはならない。賭博行為の問題の本質とは個人の営み自体の問題ではなく、社会的に派生しうる様々な諸問題でもあり、何もせずに放置した場合、施行主体の内部や周辺で行われる不正やいかさま、あるいはその内部や外部に規制しやすい悪や組織悪、結果として地域社会における風紀や公共秩序の乱れが起こりうる可能性が存在すること等にある。制度や規制はかかる事象が起こらないように、公共の秩序を維持し、かつ国民を保護するためにあるといってよい。一方、賭博行為が個人の内面にもたらし得る潜在的危害は、これを制度として防止することには限界がある。如何なる問題が個人の内面に生じるのであろうか。
賭博行為を楽しむ顧客の全体総数と比較すれば極めて限られる数になるのだが、賭博行為を制度的に認める場合、病的に賭博行為に依存し、これに資金を注ぎ込み、自分自身を自己破産や自殺に追い込み、家族や職場を犠牲にしてしまう人々がどこの国にも存在する。かかる病的な症状を「賭博依存症」という。病理学的には精神的な病気の一つと定義されている(WHO国際疾病分類第10改訂、F63「習慣及び衝動の障害」,F63.0「病的賭博」)のだが、賭博行為を社会的に認める場合、必ずこの様な症状の社会的弱者が僅かながら生まれてしまうのが現実となる。これには例外は無い。よって、公営賭博や類似的な遊技が存在する我が国にも、少なからず賭博依存症の患者がいるはずなのだが、何の信頼おける調査研究も、統計も存在せず、実態は不明である。依存症患者は確実に存在するのだが、何らの政策的対応も措置もせず、政府はその存在を無視して現在に至っている。この存在を認知した場合、その責任と対応を迫られるからであろうし、縦割り行政の弊害で法が定めたことのみが省庁の業務となり、分野横断的な社会的問題に対応することはできれば避けたいという衝動がおきてしまうからである(火中の栗を好んで拾う官僚等はまずいない)。あるいは、基本的には依存症は社会的問題ではなく、個人の責任の領域の問題、個人の弱さの問題として、これを病気として社会的に認知することに対する疑義もあると思われる。賭博行為が社会にもたらす、集客、消費、雇用、経済活性化等のメリットを最大限取り込むことは、地域社会に大きなメリットをもたらすことになり、政策的にも極めて有益な行為となる。一方、この結果生じてしまう賭博依存症を呈する者は、社会的弱者でもあり、最低限かかる弱者を救済するセフテイー・ネットを平行的に設けることが、現代社会における許諾賭博法制の一つの特徴的傾向であるともいえる。地域社会の関心事を政策に反映し、家族、職場、地域社会に波及しかねないかかる問題を未然に防ぐ措置を図ることが政策として求められていることになる。
このためには、まず定期的な統計調査や調査研究により、実態社会の現実を把握することが全ての前提になる。これら現実認識から、中長期的な対応戦略を策定し、これに基づき、具体の対応施策を事業者や関係者の協力を得て、策定し、実践することが必要となる。より具体的には、依存症を防止したり、その進行を抑止したりする施策(賭博依存症に関する一般教育、リスクの周知徹底)、依存症患者を特定化し、賭博行為をさせないようなカウンセリング等の実施(24時間ヘルプデスク、無料カウンセリングの実施)、また依存症患者を賭博施設や賭博行為から隔離するあらゆる手法と施策(顧客を特定化し、排除する仕組み、患者自身や家族の申告による自己排除規定の実践)、症状の重い患者の救済(患者特定化、診療機関による治療の実施、同機関等における人材教育と施設支援)などの施策とともに、ハウスにおける協力体制の具備(関係職員等に対する適切な教育等の実践、対応マニュアルの整備)などになる。またこれら活動に対し、安定的な財源を確保するという制度的配慮も必要になってくる。
賭博依存症は、日本ではその存在すらも正式に認識されておらず、問題に対処する考えも慣行も根付いていない。現行の賭博法制は、収益を公的主体が取得することが目的で、あくまでも賭博を実施し、規制するための法律でしかなく、これを実践することにより、何らかの社会的な問題が発生しうることを全く想定していない。問題を覆い隠すように、半世紀前の制度モデルに固執しており、かかる事象が問題にもされなかった時代の風潮を反映した制度や規制の内容になっている。果たしてかかる考え方が現代社会で通用するといえるのか懸念とすべきであろうし、より社会の実態を反映した政策の在り方を再考すべきでもあろう。先進諸国では、ゲーミング賭博やその他の賭博制度を実践する場合には、かかる依存症問題への対応に関しても、その財源と共に措置することが通例となっている。わが国においても、公営賭博や遊技は同じ現象をもたらしているという現実をまず認識し、対策と対応を考える必要があるのかもしれない。将来ゲーミング賭博の法制を考えるとするならば、依存症患者対策を社会的な問題として、その対応策を含めた制度化が求められるといってもよい。