賭博行為は我が国では歴史的にやくざ組織が絡んだ行為として語られ、一般的な国民の理解としては必ずしも好ましいとは言えない成人男性の遊興の一つとみなされてきたという経緯がある。「飲む、打つ、買う」等という言葉が昔からあるように、近世以前の時代から社会的には認知され、あるいは黙認されてはいても、社会的、倫理的に決して好ましい遊興とは思われていない。賭博といえば、現代の国民の目にやきついているのは、高度成長期における東映の任侠映画におけるヤクザの世界でもあろうし、昔のハリウッド映画のラスベガスにおけるマフィアの世界になる。表の世界には表れないが、裏の世界に組織暴力団が現実には社会悪として存在しているという曖昧な日本の状況下では、組織暴力団と賭博行為とをどうしても繋げて連想してしまうという傾向もある。国民にとりゲーミング・カジノとは現実には見たことのない世界でもあり、ドラマの世界からそのあり方を想定するのは、記憶や経験の中から類似的な事象を見出し、判断せざるを得ないからであろう。
一方、一般国民にとり、実際の経験・体験として身近に存在する賭博施設とは、公営競技賭博等の集客施設になる。公的主体が公益の為にその施行・運営を担っているにも拘らず、現実にはそのイメージはあまりいいものではない。集客施設とはいっても、お上による経営である。人を惹きつけるような魅力あるきれいな施設は少ない。特定の顧客層を誘因し、開催日には交通渋滞を引き起こす施設、単なる賭博好きのおじさん達がたむろする、周囲の環境が悪くなる等極めて「特殊」な集客施設が、公営競技施設を象徴するイメージなのであろう。我が国において、公営賭博市場は縮小化しつつあり、今ある施設以上に新たな公営賭博施設ができることは想定できないが、場外売り場等のセールス・アウトレットを新たに市街地内に施設展開する場合には、必ずと言ってよいほど地域住民や地域商店街等から反対運動がおこった。この理由として、①交通混雑が生じ、地域社会における人の流れが乱れること、②特定の顧客層が集中的に集まることにより、地域の環境が悪化する懸念があること、③地域社会の平穏な生活が乱されること等が主張されることが多い。かかる行動はやはり賭博行為は悪、そもそも好ましくないという根強いパーセプションと共に、類似的な施設からの類推により、必ず地域環境の悪化が生じてしまうと考える一種の拒否反応ともいえる。
では果たして、遊興施設としてのゲーミング・カジノ施設はその存在そのものが地域環境の悪化を本当にもたらすのであろうか。ゲーミング・カジノ施設も基本的には遊興施設としての集客施設の一種でしかない。かかる施設は例えばわが国では建築許可の関係上、住宅地や教育施設等からは一定の距離を保って設置されることが通例でもあり、諸外国でも、制度的にかかる規定が存在することが多い。遊興施設は非日常的体験を楽しむ施設でもあり、多種多様な顧客が多数集まるために、住民の生活空間に設置することを避けることにより、不要な問題が生じることを避けることができる。一方、集客施設とは、その内容・性格・規模次第で、周囲の施設との関連性や地域経済へのインパクト、周辺環境、当該地域における位置づけが変わる。また、顧客が持つ目的意識等により、集客する顧客層が大きく異なり、これに伴い、顧客の消費行動も大きく変わるという性格もある。この点に着目し、意識的に施設の数やその在り方や性格を予め定義し、その実現を制度的に誘導することにより、地域環境にフィットした集客施設をつくることができる。例えば、顧客層が特定の主体に偏らないように、老若男女が幅広く参加できること、多様な時間消費のためのアメニテイーやエンターテイメントを包括的に提供することにより、より安全、安心な空間や施設を形成することができる。また施設自体を高規格化し、施設内外の環境に万全の配慮をすることで、市井のどこにでもある集客施設とは異なる健全な施設群とすることが可能になり、施行の健全化と施設内外の環境保全を実現することができる。これにより良好なる地域環境を保全することができる。
ゲーミング・カジノ施設とは、本来、どこにでも、自由に設置できる遊興施設とすべきではなく、あくまでも限定的に、特定の政策目的を遂行するための施設として把握すべきであろう。よって、その立地や施設の在り方につき、地域社会との共生を前提とし、一定の政策目的のもとに、地域環境を保全する様々な仕組みを意識的に設けることにより、様々な否定的な影響を抑止したり、排除したりする措置をとることができる。