宗教や倫理的な価値観の相違から、賭博行為は好ましくないとする政策的な考え方は現代社会でも、一部の国には存在する。個人の内面や宗教的な価値観までを規範として律する国もある。このように個人の心の中まで制度や規制が入ることは、基本的には例外の部類であろう。現代社会の趨勢は、個人が自由な意志により、また自らの責任により、自ら取得した金銭を賭すゲームは、基本的には禁止しないという方向性にある。この意味では、賭博行為を、単なる時間的遊興ないしは金銭を消費する遊興の手段として認めようという大きな流れになるといっても過言ではない。ゲーミング・カジノも基本的にはエンターテイメント、アミューズメントの世界に限りなく近いものとしてこれを位置づけ、適切な規制と制度により、その健全性、安全性を担保し、その存在を認めるべきで、必ずしも忌避すべき事象ではないという立場になる。
但し、カジノは賭博行為を提供する場でもあり、賭博行為を制度として認知しつつも、賭博行為が結果としてもたらしうる社会的に否定的な側面に関しては、これを明確に峻別し、後者をも制度的措置の対象として、その影響度をできる限り縮減する施策をとることが、先進諸外国の基本的なアプローチになっている。賭博行為がもたらす積極的な経済的効果を享受しつつ、社会的に否定的な措置への適切な対応を図り、バランスをとっていることになる。勿論、既に述べてきたように、賭博行為は、これを自由に放置した場合、やはり何らかの社会的危害やリスクが生まれる可能性が高いことより、一定の公的管理により社会の秩序、公共安全を維持し、潜在的危害を縮小するような施策が好ましいとされている。かかる考えに基づき、賭博行為を認めつつ、規制する施策が様々な国により実践されている。
ゲーミング・カジノが様々な国の国民により段階的に許容されるようになってきたのは、上記で述べた如く、①適切な公的管理や規制の枠組みにより、その健全性、安全性を担保できる仕組みができるようになったこと、②また、経験によりかかる仕組みが効果的であることが理解され、確認できるようになってきたこと、③かかる知識や経験が広範囲に共有できるようになってきたこと等が極めて大きな役割を果たしている。またこれと共に、エンターテイメントとしてのゲーミング・カジノがもたらす顕著な経済効果が、かかる健全な賭博行為を積極的に認め、推進する強力な政策的目的になったという現実がある。ゲーミング・カジノとは実は労働集約産業で、その雇用効果も経済効果も極めて大きい業となる。テーブル・ゲームの運営は、24時間シフト交代制を前提とする場合、結構な数の職員を必要とし、その他関連する様々なサービスもその本質は、顧客に対するアメニテイーやサービスの提供でもあり、これらサービス業がもたらす雇用効果もかなりの規模になる。また、エンターテイエメントは観光やリゾート施設などとの相性が高く、シナジー効果もある。コンベンション客やビジネス客をもその中に取り組む試みも一部では成功している。こうなると、投資や施設も結構な金額になると共に、雇用力や地域経済活性化力はかなり高くなる。これを支える集客効果(内外の観光客誘致効果)、消費効果、税収効果などが、為政者がゲーミング賭博を進める政策価値と政策目的ということになったのであろう。勿論この考えは、これら社会にとっての積極的な経済効果が、前述した様々なリスクや否定的要素を遥かに上回り、施行に伴う否定的な社会的コストも縮減できるという考え方に立脚している。また施行に伴うこれら社会的コストを縮減する費用や規制や法の執行に必要となる費用は全て施行収益から賄い、国民の税をこの目的のためには使わないということも一つの原則になっている。メリットが大きい以上、当然その費用は受益者負担の原則により、施行収益から賄うべきという考え方でもあろう。
おもしろいのは、一つの国、地域における新たな賭博施策の成功は、他の国、地域により模倣され、ドミノのように、各国に伝播していったことにある。新しい試みは先行事例があり、確実に成功するという確信がある場合、瞬く間に模倣されてドミノ効果が生まれてしまう。各国の制度や社会、文化の相違にも拘らず、制度の考え方自体も段階的に模倣され、様々なバリエーションはあるが、類似的なゲーミング・カジノ法制が様々な国々において実践されているのが現代社会の実態になる。その主要な政策的目的は①雇用増、②税収増、③観光客数増・観光振興並びに④地域の経済活性化と再開発等である。