賭博行為が個人化するという動きと、賭博のあり方に関わるシステムが情報化・電子化するという二つの動きはインターネットと関連する技術により融合することになる。ウエッブ技術とブロードバンド技術の飛躍的向上は、自宅のコンピューター上で、あらゆる映像や3D画面を臨場感あふれる形で再生することを可能とした。賭博行為も、ウエッブとコンピューターの中でできないことはないことになる。唯一の技術的難点は①決済関係をどうするか、どうしたら賭け金を払い、勝ち金を確実に回収できるかということと共に、②決済に伴う情報に関するセキュリテイーをどう確実に担保できるかという点になる。上記②が①とリンクするのは、たとえば決済にクレジット・カードを使用する場合には、当然番号等の関連する個人情報の秘匿性が極めて重要になるからでもある。この技術的問題は、1995年に、コミュニケーション・プロトコールの暗号化により解決し、現在に至るネットでのものやサービスの購入(ネット・ショッピング)の発展に繋がっている。この決済手法がクレジットカード、ないしは電子マネーを使用する決済手段となる。ネットを通じてモノやサービスを自由に売り買いできるようになった状況は、賭博行為も一つの顧客に対するサービスとしてネット上で、提供できるようになった事を意味する。この仕組みとは、顧客がまず勘定を開設し、プレーする前に賭け金予定額(予算額)をクレジット・カードから引き落とし、この勘定に預託(デポジット)する。この預託額から、個別のゲームに際し、賭け金を引出し、遊ぶことになる。勝てば顧客勘定にクレジットが付与され、負けた場合には、単純に預託金額から差し引かれる(デビットされる)ことになる。勝ち金を現金化する場合には、この顧客勘定からクレジット・カードにクレジットさせることになる。コンピューターが提供するゲームとは、スロット・マシーンからあらゆるテーブル・ゲームにまで多種多様なゲーム種になる。画面でありながら、臨場感あふれる画像の中で賭けごとをすることができる。
さて、このインターネット賭博だが、制度上、規制上は如何なる問題があるのであろうか?下記問題がある。
① 提供主体の公正さ、適格性:
サイバー世界に国境はない。マルチ言語により世界中の人々を顧客として、24時間営業できる。逆に顧客の立場からすると、どこの国から、誰がゲームを提供しているのか定かではなくなる。ゲームは公平か、公正か、勝金は本当に支払われるのか、騙されているリスクはないのか等という懸念が生まれる。騙された場合、救済の手段はあるのかという課題もあろう。また、例えゲームは公正であっても、組織暴力団やテロ組織が資金集めの為に、外国を根拠地として、かかる行為を担っているとしたならば、これも大きな問題となる。
② 規制の甘さ、信頼性の欠如:
一般的にこれらネット事業者は、海外の軽課税国に名目的な会社を設立し、サーバーをこの国に設置し、そこから世界に情報を発信する。これは1)税コストや運営コストが安いこと、2)規制が緩やかで手軽にライセンス(免許)を取得できることがその理由である。但し、しっかりとした制度がある国なのか否か、いかさまでないことを防ぐ制度的仕組みが存在するのか否か、個人情報が遺漏するリスクが本当に無いといえるのか等は必ずしも明らかとはいえない。また顧客は、これを検証できる手段を基本的には持っていない。
③ 違法行為摘発のむずかしさ:
一国の制度が賭博行為を禁止していたとしても、個人がネット賭博をすることは禁止できないし、提供する主体が外国にいる場合には、国内法で処罰の対象とすることは難しい。よって、法の執行を実施すること(違法行為を摘発すること)は極端に難しくなる。かつまた、わが国では賭博罪は必要的共犯とされるのだが、犯罪の一方の相手が海外にいる場合には、そもそも犯罪の構成要件を満たさないという事情もある。
④ 税の遺漏、富の国外流出:
また一国にとり、施行者に対する課税はできず、国民の消費に課税もできなくなる。富が海外に流出するだけになるという実体になりかねない。
この様に、ネット賭博は明確に、①国境を越えたビジネス・モデルになっているとともに、②これを認めるか否かも国によって方針は大きく異なる。認める場合には自国にサーバーを設置させ、論理回路を認証し、公正さを検証する。また、データを規制当局が把握し、これを根拠に売り上げに課税することになる。これにより、顧客は安全かつ健全なサイトであることを予め認識できるため、安心して、認証されたネット・カジノを楽しめる。認可されたサイトと認可されていないサイトが混在する状況が生まれてしまうが、顧客が如何なるサイトを選択するかは、顧客個人の判断とリスクということになるわけである。