米国の先住民部族カジノを語る場合、必ず事例として参照されるのは、その成功事例でもあるマシャンタケット・ペコー部族と、モヒガン・サン部族であろう。両部族いずれもが東海岸、コネチカット州に居住する原住民部族となるが、地理的にボストンやニューヨークからの至近距離にある居留地を保持し、僻地とはいえ、大都市から車で数時間の距離にあるという地理的な戦略性をうまく活用した部族となる。
ペコー族は、マサチュセッツ州のレッドヤード市に居留地を保持する部族で、1983年には連邦政府の認知を得て居留地を取得した部族となるが、1986年頃よりビンゴ賭博を提供し始め、1987年のIGRA法の制定と共に、いち早くカジノ実現を企図した。もっとも、部族自身に資金があるわけもなく、当時、海のものとも山のものともつかぬ部族に資金を貸す金融機関は皆無であったのが現実で、権利だけをもっているのが実態でもあった。この部族の窮状を支援し、資金的な支援を実施したのは、米国企業ではなく、マレーシアの華僑系カジノ資本である、ゲンテイン・グループであり、1991年に融資というよりも一種の利益分担に近い高利の貸付により、大規模カジノホテル施設実現を企画。この結果、1992年に「フォックスウッド・カジノ」がオープンとなり、これが大成功を収めるに至った。その後飛躍的に増設を重ね、施設の運営、資金調達も部族が自前でできるようになり、施設的には世界最大規模のカジノの一つとなっている。ゲーミング・スペースは44万㎡、380のテーブル、6,300台のスロット・マシーン、4つのホテル(2,266室)や様々なアメニテイー施設を抱え、2011年総粗収益は11.7億㌦に達する(不況と競合環境の変化で前年比1.64%減)。同施設は全米で、全米で最も成功した部族カジノになり、部族への経済的恩恵と共に、地域社会への貢献や収税への貢献等多大な経済効果を発揮した(税率は現状スロット・マシーン収益の25%で、全収益の30%を占めるテーブルゲームには州税は課せられていない)。
このフォックスウッドから左程遠くないアンカスビル市に設置されたのが、やはりマサチュセッツ州に在住した先住民部族であるモヒガン族が設置した「モヒガン・サン・カジノ」である。敷地240エーカー、ゲーミング・スペースは33,880㎡で、377台のテーブル、6,500台のスロット・マシーンを設置し、12,000席のアリーナや.1356室のホテル、その他会議施設等を備える複合リゾートで、従業員は約1万人、2011年総粗収益は12.3億㌦に達している(フォックスウッドと同様に前年比2.3%減。尚、税率もフォックスウッドと同様、スロットマシーン収益の25%となる)。こちらはペコ―族の成功をにらみつつ、1992年米国のデベロッパー企業3社のJVが部族を支援し、連邦政府の認知を得る所から始まり、1994年に連邦政府認知を得て、上記3社にバハマ・南アフリカに本拠をおくカジノ運営事業者であるKerzner Internationalが参加し、外国企業グループが資金調達、施設整備、運営を部族から受託する形で実現した施設となる。1996年10月にオープンし、2000年には部族が運営権を実質的に掌握、当初のデベロッパーは少数株主となり、現在に至っている。施設規模としてはフォックスウッドに次ぐレベルとなった。
この二つの部族カジノ施設への来訪客は年約5100万人となる。いずれも成功の要因は、①ボストンとニューヨークの中間的位置にあり、東部における巨大な人口集積地を潜在的顧客市場とすることができたこと、②かつ近隣には競合相手が存在しないという戦略的な地位を活用し、パイオニア的な試みがが巨大な集客を可能にしたこと、③巨大な需要に答える施設展開とサービス展開を当初から実践し、これが集客力を高めたこと、④当初は、外部からの強力な資金支援や経営支援を取得でき、初めて実現できえたこと等にある。勿論、他の商業的カジノ施設と比較すると、比較にならないほど有利な税体系という環境が、採算に与えた効果も大きい。また当初の成功をばねに、施設を拡張・増設する時点以降は、部族自らの経営に切り替え、自らの投資と金融機関からの借り入れにより、施設拡大を実現し、その後も順調な成長を遂げ、豊富な資金力をベースに、部族カジノ外の活動を担えるまでに巨大化したこともこれら部族には共通的な事象になる。これら部族は各々、ありあまる収益を、別途設立した部族投資企業に投資し、部族ではなく、通常の一米国企業として、東部地区の様々な競馬場、競馬場付帯スロットカジノ、他の部族カジノの買収、利権取得等を得て、他州において新たなカジノ施設の開発への参加を実現する等、部族コングロマリット化した活動を展開しつつある。類似的な動きをして巨大な部族カジノ資本へと成長したその他の部族としては、フロリダ州のセミノール部族等がある。部族企業を設け、外部への投資へと走るのは、近隣州において本格的カジノ施設を設ける制度措置が実現し、数年以内に、東部地区における市場構造が根本的に変わる可能性があるからである。東部地区において、部族カジノのみが隆盛を誇ったのは、過去の時代で、これら施設も近隣に競合施設を抱え、競争の時代に参入することになったといえる。外部への展開は、そのための生き残りのための一つの対抗策でもあるのだろう。