共産党時代のロシアでは、賭博行為は、労働意欲を喪失せしめ、かつ労働者を搾取する手段でしかないと思われていたのが現実である。かかる事情により、カジノ賭博は、冷戦時代は、ソ連および東欧諸国では、一部の例外的施設を除き、ほぼ全面的に禁止されていた。ところが、1991年のロシア共産党体制崩壊はこれを一変する。この結果、全く規制や制度が無いままに、市場において、商業的賭博行為が蔓延し、中古スロット・マシーンが輸入され、安易な形で何処にでもスロット・マシーンがあり、賭博行為にアクセスできるという無秩序な状態になってしまった。この裏には、ロシア・マフィアの影が散見され、麻薬、セックス、ローン・シャーキング等モスクワを中心に、組織悪の介在が指摘されると共に、とてつもない数の小規模賭博施設やスロット・パーラーが、自然発生的に国中に生まれることになったのが現実となる。
1996年、当時のモスクワ市長は、モスクワ市内におけるカジノ施設の総数を70から30にする条例を制定し、当該施設をエンターテイメント施設として、カジノ外の遊興の要素を備えることを命令したが、減るどころか、現実は、施設数は増えていった。極めて簡易な形で、地方政府による認可により、ライセンスが付与されていたからである。2002年連邦法により、カジノの規制主体を自治体から連邦の「スポーツ委員会」に変更したが、新たな規制が制定されたわけではない。施設のライセンス料は何と$45米国㌦相当額で、名目的なライセンスに過ぎず、実質的には規則も制度もなく、これにより、更にカジノ・ゲーミング施設が増えることになってしまった。2006年には、モスクワ市のみで513のカジノ施設が存在し、町中に無数のスロット・マシーンが存在する無秩序事態になっていた。その他のロシアの主要都市にも類似的な事象が生じ、市場規模は粗収益で年$70億米国㌦相当額に達したのではないかともみられていた。この結果、市民の賭博依存症や、マフィアの介在が大きな社会的問題になることになった。
この混沌とした状況を見て、2006年10月にプーチン大統領が介入し、実質的にカジノ賭博を禁止する内容の法案を議会に提示、2006年12月30日に議会で可決された。法律の内容は、都市部における全てのカジノ施設とスロット・パーラーの全面的閉鎖であり、既存施設の段階的閉鎖を命じる内容になる。一方、全てのカジノを禁止したわけではなく、ロシア国内では、観光地とはほど遠い過疎地ともいえる4つの地域にのみ、特別区を設け、この4つの地区におけるカジノ施行を認め、カジノ運営のライセンスを付与するとした。同様に、インターネット賭博も禁止されたが、国が運営するロッテリーとブック・メーカーは禁止の対象とはなっていない。4つの地域とはいずれも、過疎地に近く、一つはRusskiy島のPrimorsky Krai(極東ウラジオストック市から52Km)、二つ目は中国国境に近いシベリアのAltai Territory、三つ目はRostov に近いKrasnodar。四つ目は、 リトアニア、ポーランドに挟まれたKaliningradとなる。ロシア国内に無数に存在した全ての小さなカジノやスロット・パーラーは全て2007年7月1日までに閉鎖、一方、投資規模が2300万㌦以上、施設規模が8000平方フィート以上の大きな既存のカジノは2009年7月末までに閉鎖することとされ、この措置は厳格に実施された。
4つの地区に新たに設置されるカジノの許可条件は、一定の投資規模が要求され、スロット・マシーンのスペースは最低1,000平方フィート、最低払い戻し率80%が前提となり、全ての機材の設置は、関連連邦当局の許可が必要となる。4地域の特別地域は、以後10年間変更しないが、カジノは4年間のライセンスを前提とし、5年間の更新が可能である。また、各々の地区にゲーミング区域行政局(Gaming Zone Administration)を設け、地方政府と連邦政府への報告を義務化し、新たな規制を制度として設ける前提とした。地方政府が認可(ライセンス)を付与し、実質的な規制機関となる構図であろう。政府の出資は禁止とされ、事業者は土地を政府から賃借し、自らの資産としての施設を整備することができる。一部地区には既に2010年にカジノ施設が若干建設されたようだが、極めて小規模にすぎず、エンターテイメント施設というには程遠い環境にあるようだ。明確なデータはないが、かかる僻地への投資誘致が実現したとは想定できないし、また現実にうまくいったという情報もない。一方2010年12月に僻地Rostovに付与されていたゲーミング・ゾーンは北海のリゾート地域となる人口集積地に近いAnapaに代替されるという報道がなされたが、事実の程は定かではない。また2012年7月には、上記の韓国・中国の国境地帯にあるウラジオストック・プリモスキー領土は、統合エンターテイメント区域(Integrated Entertainment Zone, IEZ)の実現を目指し、12のカジノ施設の誘致を企図し、第一段階として3施設、$20億米国㌦相当額の投資誘致を、税金ゼロ、有利な土地リース条件という前提で、州政府開発公社経由公募した。公表された写真を見ると、一部造成工事や建設工事は着手されている様だが、単純に外国人旅客を集客できる環境があるとも思えない。絵に描いた餅の様相が見て取れるが、今後の展開は不透明な状況にある。
ロシアにおける混乱は、明確な制度や規制が無いままに、賭博行為を実質的に市場に委ねることのリスクが顕在化した事例そのものでもある。他国ではありえない事象が、生じたわけで、混乱を解消するためには、都市部では禁止、過疎地区に新たに一種の観光特区を設け、ここにおいてのみ、限られた形でカジノ賭博が可能という制度を設けた事になる。実質的にエンクレーブを作り、隔離することを試みたわけだが、制度や規制の在り方は、現在でも不十分かつ、不明瞭であり、ロシアの中ではまだ未開発のこれら地域が本当に、エンターテイメントを主体とした観光地に脱皮できるのか否かに関してはあまりにも不安定要素が多すぎると言わざるを得ない。