超党派議員連盟は、2010年末以降2011年夏にかけて、法案の論点と政策的選択肢を纏めるために、様々な議論を重ね、関連しうる様々な省庁からのヒアリングを実行すると共に、会長私案を提示し、その実効性を検証する手順をとった。この結果、2011年7月には会長私案をもとに、衆議院法制局と法案大綱を作成、公表した。但し、かなり複雑かつ法律事項の多い内容になることが明らかになり、一部内容に関しては政府と詳細な調整を図りながら詰めざるを得ない項目も存在し、議員のみで対応することは難しいことが明確となった。この意味では、専門的な知見や省庁との調整が全ての前提となり、議員立法で全てを策定すること自体に無理があったといえる。そこで、議連幹事長であった小沢鋭仁議員(民・衆)の発案により、2011年8月に方針を転換し、IRの法制化を二段階で実現することを取り決め、議連幹事会で議論の上、同年8月末の議員連盟総会で方針並びに具体の法案文につき了承を得た。
この概要は下記になる。
①第一段階:IR推進法(「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法(案)」)
議員立法となる。基本理念、基本方針を規定し、実施の枠組みを詳細に検討する組織を設け、一定期間内に実施法を策定することを政府に義務づける内容になる。内閣に内閣総理大臣を本部長とし、閣僚から構成する特定複合観光施設区域推進整備本部を設置する。また、内閣府に事務局を設置すると共に、重要事項の審議のために、国会議員10名、学識経験者10名より構成する特定複合観光施設区域整備推進会議を設け、内閣総理大臣を補佐する仕組みを設ける。法は法施行後3ヶ月以内にこれら組織を設置すると共に、法施行後24ヶ月以内に、実施の枠組み詳細を取り決めるIR実施法案を政府が国会に上程し、必要な措置を図ることを義務づける規定を設けている。
②第二段階:IR実施法(「特定複合観光施設区域整備法(案)」)
閣法となる。上記推進法の検討の枠組みで法案化されるものがIR実施法となり、これにより初めて刑法上の違法性を阻却し、カジノを含む複合観光施設(IR)を実現できる制度的な枠組みが固まる。かなり詳細な内容になるが、既に超党派議員連盟が検討してきた案を青写真として、その詳細化を政府に委ねることになり、ゼロからの検討ではない。かつ、官僚組織に丸投げすることなく、特定複合観光施設区域整備推進会議を通じ、超党派議連の国会議員がIR実施法に策定に直接関与するイニシアチブを取ることが全ての前提とされた。
2011年10月の超党派議連の総会で、再度方針と法案の内容を再確認する手続きがとられ、この原案をもとに、超党派を構成する各党が各党に持ち帰り、党内手続きを得て、各党内部の合意形成を図ることが合意された。例え議員立法として法案を議員主導で上程するにせよ、実際に法案を提出し、審議の棚に乗せるためには、与野党国対レベルでの調整が前提となり、主要与野党の党内合意が手続き上必要になるからでもある。
この合意形成の手続きは与党である民主党の場合は前原政策調査会長(当時)の指示により、政策調査会の内閣部会・国土交通部会の合同部会にその検討が付託された。合同部会は2011年11月から審議・検討・ヒアリング等を精力的に実施し、2012年1月末の合同部会で結論を得て、政策調査会幹部会に挙げられたが、この直前に、(付託を受けていない)政策調査会内部の法務部会から、政調会長に反対の書面が提示され、結局話はゼロに戻り、再度政策調査会の内閣部会・国土交通部会・法務部会の三合同部会により、全く同じ議論をやり直す羽目に陥った。これが2012年3月末から会期末直前まで10回継続され実行された。全く同じ議論の繰り返しでもあったが、この合同部会は、極めて少数派による党内反対論を抑えきれず、かつこの期間内に、国土交通部会、法務部会の会長が数度にわたり交替し、当初の部会の意思がころころ変わるという事態すら生じてしまった。実質的には2012年初頭より、民主党内部の意思決定メカニズムはがたがたになってきており、その後の党分裂の萌芽は当時から明確でもあったのだろう。結果、この合同部会は意見を纏めきれず、混迷し、会期末となる7月末までに結論を得られなかった。その後の臨時国会においても、なんらの行動もなされず、意見集約に至らないまま、同年11月には衆議院解散となってしまった。「反対のための反対」をする一部議員を押さえきれず、何も決められなかったというのが民主党の実態でもあった。
一方、自民党は、民主党の動きをにらみつつ党内合意形成を進めることを2011年12月に決定、2012年2月以降、政務調査会の内閣部門・国土交通部門の合同会議が、都合9回開催され、同年5月24日政務調査会では了解が得られた。この時点で茂木政調会長(当時)預かりとなり、以後手続き的には政策会議、総務会での審議が残るだけとなった。但し、民主党が混迷し、衆議院解散となったため、この時点で自民党の動きも全てがストップしてしまったことが現実となる。