賭博行為に関する制度のありかたは、日本のみならず諸外国においても、経済実態が存在し、その後制度が段階的に実態に合わせて措置されてきたという側面がある。遊びやエンターテイメント娯楽に関する規制や制度は少なからず、現実が先行し、制度は常に後追いになる性向があるといってもよい。一定の制度が存在しても、制度自体が旧態依然として、現実から離れてしまったり、社会環境の変化や人々の考え方が大きく変化したり、余暇の発展や技術の変化のスピードの早さに制度自体がついていけなくなるという事象になる。この結果、合法と非合法の線引きがあいまいになったり、法の執行が甘くなり、国民による制度に対する不信が増大したりすることをもたらすわけである。例えば、我が国の現行法では、賭博行為自体が刑法上の罪になり、インターネットによる賭博は当然認められるわけがなく、禁止の対象となる。所が実態は、サイバー空間には日本語による数千のネット・カジノ賭博サイトが存在し、かなりの日本人顧客が、ここで金を賭けて遊んでおり、市場は急速に拡大している。もっとも例え違法であっても、法の執行は何もなされていないために、一種の無秩序状態になっている。違法である行為が為されながら、特段問題も生じていないとして無視することは、法治国家としてあるべき姿ではない。且つ、これでは国民にとり何が合法で、何が非合法なのかがわかりにくくなる。また、実際に不正やいかさま、詐欺等により被害を受けた国民も生まれているのかもしれない。法の執行が甘くなれば、結局国民の順法意識も弱くなり、制度に対する国民の信頼を得ることはできない。類似的な事象は、遊技にもあり、遊技と賭博との境目が何処にあるかの判断基準は、必ずしも明確ではない。公営賭博法体系も個別賭博種毎にバラバラの制度が構築され、本来賭博種全体に共通的な政策課題となる様々な社会的危害や現実の社会的諸課題に答えることができる制度とはなっていない。
これら事象はいずれも制度と現実の間に乖離が生じてしまった事象からでてきた問題で、我が国の賭博関連法制や関連しうる遊技関連法制いずれもが、時代の要請に答えられる内容のものになっていないということを意味する。あるべき方向性は、現在の制度的仕組みを再構成し、経済社会の変化に対応した内容に制度自体を変えることであろう。エンターテイメントや遊びは人間の暮らしや行き方、生活を明らかに豊かにするが、人間が生きていくために必須なものではない。この意味では、国民生活的な視点からすれば、その他の政策項目からは劣後してしまう政策項目でしかない。この結果、我が国では①現実に直面せず、制度も変えず、運用細則や解釈行為により現実を糊塗したり、②問題を回避して、根本的な対応を後回しにしたりしてしまう性向が強い。かかる事情により、どうしても現代社会においては、その制度的な枠組みの再構築は後回しになり、現実の社会の早い動きについていけなくなってしまっているともいえる。但し、旧態依然とした制度のままでは、現実の諸課題に対応できず、やはり様々な問題が生まれてしまう。単純に蓋をして、見て見ぬふりをしても、結局問題の解決にはならず、早晩、問題の整理が要求されることになりかねない。
先進諸外国においても、賭博法制の枠組みには入らないが、賭博的な類似行為が市場に存在していたという事例もあり、上記事情は必ずしも我が国固有の問題であるわけではない。また、諸外国でも同様に、賭博種毎に制度が分かれ、主務官庁がばらばらで、整合性や一貫性のある制度とはいえない事例も多かった。但し、欧州の一部先進国やオセアニア諸国等は、時間をかけ、この制度的枠組み全体を再構築することを始め、これを実践してきた。即ち、まず①現状や実態を正確に認識し、制度の在り方を検証して、あるべき社会の在り方、制度の在り方を包括的に整理する。その後、②賭博行為を健全な成人の遊興として、整合性と一貫性を保持しつつ、全体を一つの法体系に統合・再構成し、③法律を統合し、一定の移行期間を経て、これを実践し始めた。これがあるべき現代的な賭博法制の姿でもあろう。わが国の既存のシステムでは、個別の省庁が個別の賭博種を、その事業収益を自らの政策目的に利用する為に管理しているという仕組みが基本で、賭博行為に関する共通的な政策的課題に対応できる制度とはなっていない。かつ又、国が主導する配分のメカニズムは、官僚の癒着と、天下り、省利省益のみをもたらすことに繋がってしまっている。制度自体に利権が密接にリンクしていることになるが、これでは官僚組織自体に制度改革を実践することができるわけがない。制度そのものが、疲弊し、前世紀の遺物となってしまっているのだろう。
本来国が志向すべきアプローチとは、現状に甘んずることなく、制度のあり方そのものを積極的に再考し、見直していくことであろう。新たなゲーミング法制となるカジノのあり方を検討することは、中長期的には既存の賭博法体系を再構成することに繋がる。賭博エンターテイメントの現代的意義とその社会的・経済的価値を見直し、現行の許諾賭博制度そのものを再構成し、オーバーホールすることを考えるべき時代が来ているといえる。