賭博の歴史は人類の歴史とともに古い。もっともこれは時の為政者により、禁止されたり、認められたりしてきた歴史でもあった。現代社会でも、その国の歴史的、社会的、文化的事情や背景、あるいは時代の世相を反映する国民による許容度等によっても、国毎にその事情が大きく異なるのが現実である。また、キリスト教でも、イスラムでも、もしくはヒンズー教でもそうだが、宗教的な価値観、倫理観から賭博行為は好ましくないと判断され、これにより賭博行為が禁止されてきた国も多い。あるいは単純に風紀や社会秩序を乱すという理由から、為政者の判断により、禁止されている国もあれば、逆に賭博行為がもたらす税収効果等の経済効果を期待し、積極的に賭博行為を認めてきた国もある。
もっとも賭博行為は所詮遊びであり、余暇、レジャー活動の一部でしかない。近世以前の時代では、余暇とは時間と資金を持て余した貴族や富裕層等の特権階級による時間の過ごし方でもあった。庶民に余暇などなかったわけである。17世紀以降の欧州におけるゲーミング・カジノ施設はかかる特権階級の余暇と密接にリンクし、著名な保養地や温泉地、避暑地・避寒地等に集中して設置された。これらは人を惹きつける魅力のある観光地でもあったし、当時は現代社会におけるリゾート的な価値を持っていたのであろう。これら余暇を過ごす場所での時間をつぶす遊興の一手段として、時の為政者による免許により、カジノ施設が設置されたわけである。例えば、現在でもその余韻を残しているモナコ(モナコ公国)やバーデン・バーデン(ドイツ)などがその好例になる。富裕層や特権階級をかかる地域に集め、遊びを提供し、金銭を消費させる業としてのエンターテイメントを特例的に許諾し、為政者が、そのうわ前をはねていたことになる。但し、これは極めて小規模で、必ずしも市場を発展させる可能性を秘めたものではなかった。この状況が一変するのは18世紀以降の産業革命と新たな富裕層としてのブルジョワジーの勃興でもあった。ブルジョワジーの登場は一挙に余暇活動への参加者を飛躍的に増大させ、余暇をより一般化することに貢献した。バカンスという用語や集中的に休暇を取り旅行したりする考えは、この当時生まれた概念や慣行になる。また、南フランスでのリゾート施設の勃興や、今に残るこれら地中海海浜リゾート都市、これらに存在するカジノ施設の隆盛は、20世紀初頭からのもので、ブルジョア階級がもたらしたものである。但し、欧州におけるゲーミング・カジノの伝統は、貴族的な伝統や慣習を引き継いだものになり、富裕層の為の、限られた、小規模なカジノ施設でしかなかった。この基本的な性向を引き継いだ施設は、今でも欧州諸国には多い。限られた顧客のための、限られた施設でしかなかったわけである。勿論、一般的には、顧客の層は拡大したのだが、供給のあり方は制限され、誰もが自由に入れる施設というわけでもなかったのが現実であろう。
この局面を変え、ゲーミング・カジノに新しい展開をもたらしたのは第二次世界大戦後の米国である。もともと自由な国の米国である。賭博行為は歴史的には、西部劇にでてくる酒場そのもので行われ、領土の拡大と共に国中に広まっていったのだが、スキャンダルや不法行為の横行等もあり、州毎に許諾と禁止を繰り返してきたという歴史がある。現代社会では、1931年ネバダ州で賭博行為が合法化されたが、その後も、1960年代までは、合法化された州はネバダ州のみというのが現実でもあった。一方、戦後の労働者階級の可処分所得の増大や労働時間の短縮などに伴い、社会全体の富が増し、庶民が余暇や休暇、旅行、観光を楽しめる時代になってきた時代的環境変化が、その後カジノを含む余暇・レジャー産業を大きく発展させる契機となった。ネバダ州においても、カジノ・ハウス自体が、単純賭博遊興施設ではなく、宿泊し、カジノを含む多様なレジャーを楽しめる複合的な観光施設へと変貌し始めたわけである。この結果、カジノ・ハウス自体が、ホテルやレストラン、多様なアメニテイーを併設するリゾート施設へと段階的に発展していったことになる。もちろん、この前提として、不正や悪、組織悪をカジノから一掃する制度と規制が制定され、これが厳格に執行され、カジノ自体が全く安全、安心、健全な存在へと変化していったという事実もある。
このネバダ州の成功は、その後ニュージャージー州や米国の様々な州で模倣され、段階的に実践されていった。この流れが賭博行為の一般化、大衆化、健全化へと繋がり、エンターテイメントとしてのカジノが、一つの産業として発展してきたことになる。かつまた、この動きは、70年代以降、米国から大洋州、欧州へと伝播し、2000年代以降はアジア諸国をも巻き込み、飛躍的に発展し、大衆化と共に国際化し、現在に至っている。