我が国にも公営競技や宝くじ、Toto等の公営賭博が存在し、このための制度と規制があり、一定の制度的枠組みの中で賭博行為は認められている。金銭を賭けるという意味ではこれも賭博であり、カジノ賭博と同じではないかという意見が出そうである。では、公営賭博(一般的にはベッテイングと呼称される賭博の分類になる)とカジノ賭博(一般的にはこれがゲーミングと呼称される分類になる)とでは、どこがどう違うのか。実は、賭博種としてのリスクのあり方や賭博の性格がこの二つでは大きく異なる。
公営賭博とは公的主体が、競技を主催し、勝馬投票券や舟券、車券、宝くじ等を顧客に販売することで顧客がこれらの購入により賭け金行動をする仕組みになる。この場合、主催者は、全ての賭け金をプールし、ここからまず一定率の公的主体の取り分を先取り「控除」し、この残額を勝者ないしは的中者への配当とするわけである。主催者にとっての開催費用と収益はこの控除部分の内数になる。また顧客にとっての配当の多寡は勝者の数が多いか少ないか(即ち、顧客の賭け金の選択行動)で決まる。プールした賭金総額から一定率を控除するということは、一定の売り上げがあれば、かつ、費用総額を一定金額に抑えることができれば、公的主体は全くリスク無しに、かつ確実に収益を計上することができる。この場合、主催者は賭博行為に参加しておらず、賭博行為そのもののリスクを負っているわけではない。即ち、顧客同士が賭けあっているという構図になる(当たり前の話だが、主催者たる公的主体が財政資金を投入し、賭博行為に参加しているわけではない)。かかる類型の賭博手法をパリ・ミュチュエル賭博という(1867年イタリア人ジュセフ・オーラがフランスにて発明した賭け事の手法で、顧客同士がお互いに賭け合う賭博という意味のフランス語がその意味になる。英語に訳すとMutual Bettingであろう。これ以前の手法は固定オッズ方式で例えば競馬等では馬主が固定オッズを顧客に提供する仕組みでもあったが、不正も多く、透明性に欠けるという難点があった。最初は手計算、機械による計算からコンピューター計算へと仕組み自体も発展している)。この賭博の特色は、競技の進行に不正やいかさまがおこるリスク(例えば身内の競技を担う者による八百長)はあるが、顧客の賭け金をごまかす不正は不可能に近いことにある。顧客による支払い額は、支払い時点でトータリゼーターというコンピューターがオッズや配当計算のために総賭け金を即座に把握し、集計することになり、絶対額が捕捉できる。コンピューター上の金額と現金勘定に差異があれば(誰かが現金を横取りすれば)解ってしまうことになり、これでは内部に不正は起こりようがない。もっともノミ行為等外部で不正が起こるリスクは高い。これは公的主体の控除率が高いことに目をつけ、より低い控除率で顧客を外部の主催者に賭けるように誘引する行為になる(顧客にとっては、例え違法でも配当が高ければよいということになる。一方、これが違法となるのは、公営賭博制度の枠外で、本来公的主体に帰属すべき収益を掠め取る行為になるからである)。
これに対し、カジノ賭博の状況はかなり異なる。この賭博種は明らかにハウス(胴元)が顧客に対峙する形で、金銭を賭し、賭博行為に参加している。ハウスも賭博の勝ち負けのリスクを負っている(即ち、理論的に負けることもある)が、確率的にはハウスは優位な立場にあり、顧客が長い時間をかけて賭け金行動を継続すれば、確実に収益をあげられる仕組みとなっている。かつ全ての顧客が勝者になるわけではなく、多数の参加者の負け分は、ハウスが独り占めすることができる。この様に、ハウスがゲーム賭博に直接関与し、参加する賭博の類型をバンキング・ゲームという。カジノ賭博では不特定多数の参加者とハウスの間でお金のやり取りが頻繁に行われ、通常これが都度帳簿に記録されないという特性がある(営業時間終了時点で現金やチップ等のポジションを確認し、初めて売上を確定できる。これは巨額のキャッシュ・フローが記録されないまま場内に滞留していることを意味している)。このために、カジノ賭博の場合には、内部の者がお金をごまかしたり、不正を働いたりするリスクが極めて高い業態になる。このリスクが外部に拡散することはないのは、カジノは目的志向性の強い施設であり、その場所にでかけなければ、賭博もへったくれもできないからである。一方パリ・ミュチュエル賭博の場合には、上述のように、ノミ行為等で外部にリスクが拡散しやすい。もっともカジノでも闇カジノという違法カジノが存在しうるが、これも制度の外部に寄生する違法行為で、かかる賭博行為が提供されていない環境の国、市場で、需要があり、供給が無い状況下で生じる事象となる。
よって、賭博行為に伴う本質的なリスクはこの二つの賭博種間では大きく異なり、不正や悪の関与の可能性も大きく異なる。一般的にパリ・ミュチュエル賭博は不正のリスクも限定され、収益も確実なことから公的部門が独占的に担うことに向いている。一方、カジノ賭博の場合、公的主体が賭博行為に参加すること自体が忌避されるのが通例で、民間主体にその運営を委ねることを前提に制度が設計されることが多い。かつこの場合、内部の不正を防ぐ配慮がより貫徹されることが通例で、規制や監視もより厳格になる。上記理由により、パリ・ミュチュエル賭博とカジノとは同じ賭博行為ではあるが、リスクの本質が異なる以上、制度の考えはかなり異なったものになる。公営賭博の手法と考えに拘泥していては、新たなゲーミング法制の制度設計をすることができない理由がここにある。