多くの日本人は、カジノは単なる認可事業にすぎず、誰もが関連する当局に申請し、認可を得ることができれば、自由にカジノを設置し、運営できる業でしかないと誤解している。一端認めてしまえば、国中にかかる施設が乱立してしまうのではないかという危惧や、町毎に賭博施設が乱立してできてしまうのではないか等という懸念がここから生まれている。我が国における遊興施設の類や遊技は、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(風営適化法)に基づく単純な認可事業でもあり、この現実から発想し、おそらく諸外国でも同様な制度なのであろうと勝手に類推してしまうのであろう。確かに、認可事業とは基本的に一定の要件を満たせば、何びとでも申請し、認可を取得でき、(条例等によりその他の規制措置がある場合を除き)基本的には如何なる場所にも当該施設を設置し、事業を実施することができるという考えを基本としている。パチンコ・パーラーはこの風営適化法に基づく認可事業となるが、地方公共団体による条例等で規制され、設置が認められない風致地区以外であれば、基本的にはどこにでも自由に設置できる。日本国中にどこの町にいってもパーラーが存在するのはかかる理由による。実に日本は自由な国なのだ。
一方、ゲーミング・カジノに係わる施設を設置する場合にはこうはならない。カジノを単純な意味での(自由な)認可事業としている国は外国には存在し無いし、そもそも認可の考え方が根本から異なるからである。カジノは極めて特殊な業、特殊な業態でもあり、その設置数や設置場所を限定し、かつ施行に参加する民間主体をも一定の要件のもとに限定し、規制することが通常のあり方になる。当該企業、その主要株主、経営者、管理職、従業員は業を担うに足る適格性と清廉潔癖性を保持しているか否かが厳格に審査され、規制当局が当該企業にライセンス(免許)を付与して、初めてカジノを設置し、運営でき、かつその構成員も別途ライセンス(免許)を取得して初めてこのカジノで働くことができるとするのが通例である。この意味では、申請行為は、確かに誰でも自由にできるが、実態は誰もが認められることにはならず、このハードルは極めて高い。設置場所、設置数も規制の対象となり、市場を管理しながら、その施行を認めるという国や地域が多い。例外は、米国のネバダ州で、厳格な審査はあるが、設置数や設置場所を制限していない。もっともこれは米国でもネバダ州だけの特殊事情であり、他の州ではありえない状況になる。
税収を上げることが政策目的ならば、設置する施設数を自由にして許諾ライセンスをどんどん増やせば、税収を増やすことができると通常考えがちだが、こと賭博行為に関する限り、この考えは、政策的には、必ずしも適切ではないと考えられている。なぜであろうか。異なった施設間の適度な市場における競争は、確かに顧客に対するサービスを向上させ、売上や税収を増やす効果がある。但し、市場自体が狭隘な状況である場合、市場の許容度を超えて過剰供給となる場合には、過当競争が生じ、顧客獲得のために過度の射幸心を煽ったり、劣位にたたされた事業者が違法行為に手を染めたり、資金不足に陥る事業者が違法な資金に手をつけたりするリスクが高まるからである。賭博行為を提供する競争は、一定の許容度を超えると、社会的に好ましくない方向へと傾斜する傾向があることになる。かかる事情により、許諾する施行数を限定し、一定の地域独占性を付与することによって、確実に収益を上げさせた方が、社会秩序を安定させたまま、確実な税収確保に繋がると考えるわけである。競争が制限され、一定期間に亘り独占性が保持されることを条件に、民間事業者により意欲的な投資を要求する政策が取られることも多い。投資回収の確実性が担保される場合、市場から巨額の資金を集めることも可能になるからである。この結果、様々な国において、カジノ施設そのものを魅力ある統合的かつ複合的な集客・観光施設として、カジノ施設を核にしながら、観光のメルクマールとなるような複合的観光施設を設置したり、地域再開発や地域振興の要となる施設を誘致したりする政策が採用がされている。
いずれにせよ、世界において主流となる制度や規制の考え方は、①賭博関連施設は、乱立させ、競争させることは好ましく無く、あくまでも市場全体を管理する中で施行数を限定して施行することが適切であること、即ち、自由競争は必ずしもメリットをもたらさず、供給を管理することが一国の制度の基本となるべきであること、②厳格に参入規制を実施し、かつその運営の在り方をも規制し、自由な運営は認めないことに尽きる。このために、カジノの施行に関しては適切な公的管理が必須の要件とされており、例え民設民営であっても、その経営・運営は全てが自由になされているわけではないことを理解する必要がある。