スイープステーク(Sweepstake)とは一定のくじのプールの中から全くの僥倖により当たりを選び、賞品・賞金を与えるというくじ引きとでもいうべき意味合いの用語である。ロッテリーくじは、有料となるが、無料でもらえるくじをスイープステークという(因みにもしこれが勝つために技量を要する場合には競技~Contest~になる)。1964年にニュー・ハンプシャーでロッテリーくじが再開されたときは、競馬に絡んでこのくじを販売したのだが、これを意図的にロッテリーと言わず、スイープステークとしたのは、ロッテリーという言葉が持つ射幸性を避ける目的でもあったのだろう。このスイープステークは顧客が自らのリスクで金銭を賭すわけではないために、賭博行為とはいえないのだが、製品販売のプロモーション等にこの当たりくじ等が採用されることもあり、これを律する関連法制度も州毎に存在するのが米国の現実である。ところが法の抜け穴的にこのスイープステークの仕組みを利用し、実質的にこれを用いたスロット・マシーン的な遊びを提供する仕掛けが生まれ、一部米国諸州では、かかるサービスを提供する施設が雨後の竹の子のようにできてしまった。これを行える場所を、スイープステーク・カフェ(Sweepstake Café)ともいう(インターネット・カフェからの類推でかかる用語を用いているのであろう)。
仕組みは単純で例えば電話カードの販売や、インターネットの時間使用提供等のモノやサービスを顧客が購入すると、一種のプロモーションとして、インターネットにアクセスし、無料くじ(Sweepstake)を楽しめることができる景品がつく。もしあたれば、賞金(現金)をもらえるというものになる。実際の利用方法は下記である。
① インターネット・スイープ・ステーク・カフェに行くと、デスクトップ・パソコンが50台位設置されているが、例えばこれを1分間あたり25¢程度で使用する権利を買う。この際、顧客は、支払情報とおまけ情報が入ったSwipe Cardを取得する。
② 利用する時間に呼応したスイープステークへの参加がおまけとしてついてくる。例えば20$の時間を買うと、2,000ポイントが付与され、このポイントを使い、ネットからスイープステークのサイトにアクセスすると、この点数を用い、ビデオ・ポーカーやスロット・マシーンを遊ぶことができる。
③ 遊んだ結果として負けたら、ポイントが減少していき、単純に時間を費やしだだけになる。逆に当たれば、別枠でSwipe Cardにポイントがたまる。インターネット使用時間切れになった場合、あるいは遊ぶことを止めて、退場する場合には、この残りのポイントは退場時に現金化することができる。
④ 顧客の狙いは、名目上の目的(インターネットの時間的利用や電話カードの購入)ではなく、この利用に伴い(無償で)取得できるスイープステークへのアクセスになってしまっている。インターネットにアクセスしているとしながらも、実態は特定のサイトが提供するスロットないしはVLTで遊び、賞金を得る賭け事をしているわけである。
なぜかかることが可能になるのか。ネットカフェでのインターネットの利用時間とは購入されたサービスまたは商品そのものであり、顧客の賭け金行動に影響を与えているわけではない。即ち顧客は商品やサービスを購入しただけで、当該支払代金は商品やサービスの対価であって、ゲームそのものを提供したわけではない。あくまでも賞品やサービスを購入したことに伴う景品(promotion)で遊んでいるだけに過ぎないとみるわけである。この場合、米国の一般的な賭博の成立要件とされているConsiderationという属性(一定の約束事に呼応して何かを行うことで、この場合は金銭的報酬を期待して行う行為)が無いことになり、これは賭博ではないとする論理になる。ややこしいのは、下級審で一定の属性が無い場合は賭博行為ではないとする判例も存在し、これを合法とする主張のもとに、一部東部諸州(フロリダ州、ノースカロライナ州等)では、瞬くまに類似施設が広まってしまったことにある。賭博行為ではないとされるために、規制も何もなく、統計値もなく、合法と非合法の境目に、実質的なスロット・パーラーが町中に存在しているという状況に近い。
上記は、一見合理性や合法性を具備しているようにも思えるが、実態は、法律上の抜け穴的に、顧客に賭博行為を提供する仕組みが存在しているということになろう。この場合のインターネットの利用時間とは個別の商品というよりも、一種のツールでしかない。インターネットの利用と景品であるスイープ・ステーク(Sweepstake)による遊びを一体化していることになり、表面的な目的を転換することにより、実際の行為を隠しているにすぎない。これでは賭博以外の何物でもない。一部州の市町村で地元警察による強制捜査や取り締まり、あるいは州議会において規制法を作る動きが生じている。ちぐはぐな規制と現実の動きとなるが、これも技術が現実を追い越してしまった一例であるのだろう。